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さようなら0系

 3時間だけ寝て4時に起きた。妻と子どもを叩き起こし、半前には車を出した。真っ暗である。子どもたちはちょっとした非日常の雰囲気にわくわくしているようだ。20分くらいで着いた京都駅の駐車場のパーキングメーターはまだ動いていなかった。しかたがないので車はそのまま放置して切符を買う。
 5時4分の普通列車で京都を出た。6時12分新大阪発西往きの「こだま」に乗るには、この電車に乗らないといけないのだ。
 指定は数日前の段階で満席だったから、自由席もかなりの混雑だろうと思ったが、新大阪に着いてみるとそれほどではなかった。とはいうものの、ホームの熱気はただごとではない感じだ。
 しずしずと列車が入ってくると、ホームの男たちが一斉にシャッターを切った。みんな、「0系新幹線」の最後の姿を目撃しにきているのである。
 かつてはジェット機のように見えた先端部は、今の鋭角的な新幹線車両に比べればむしろ丸顔の印象で、まんまるいヘッドライトも愛嬌がある。子どもたちも「かわいい」と声を上げていた。
 今回は子どもにほだされてやってきたのだが、この列車の姿を目にすると、やはり懐かしさを抑えられない。僕と同じ昭和39年生まれで、その後23年間この形の車両だけで頑張ってきたのである。その後100系のグランドひかりやら、鉄仮面のような300系とか、やたら尖った500系、700系といった新種が矢継ぎ早に開発され、すっかり姿を見なくなっていたが、この世に残った車両は、山陽新幹線の「こだま」の仕事をこなしていたのだ。生まれてから子ども時代、青春時代を通じて、新幹線はこの丸顔だったのだから、僕にとっての新幹線というのは、イコール0系なのである。
 乗ってみると、そこかしこに昔風の意匠が見られるが、案外今のものと変わっていない印象も受ける。窓はこの古い新幹線の方が大きくて、景色は楽しく見られるように思った。室内の調度に使われている白も、パキッとしたものではなくアイボリーがかった優しいもの。昔はこういう白が多かったような気がする。家電製品などもそういう顔付きだったように思った。
 乗っていると十分速くて快適である。まさに1分1秒を争う中で、新しい車両が開発され、旧式のものは淘汰されて行くのだが、そんなに急がなくてもいいのになあ、と思わされる。まあこの0系だって、そういうスピード開発主義の塊のようなものなのだから、その手の感傷は本来似合わないものなのだと思うが、このユルい「なごみ系」の顔立ちからは、いやでもそういうメッセージを受け取ってしまうのだった。
 
 あっと言う間に新倉敷に着いて、あとは倉敷の美観地区と大原美術館に行ってとんぼ帰りをしてきた。冷たい雨が降っていて、ひどく寒かった。それでも観光シーズンだけあって、すごい人だった(京都も凄かったのだろう)。大原美術館では良い絵を見た。これについてはまたエントリーを改めようと思う。

 14時には京都に戻っているのだからたいした強行軍である。車は駐禁を取られていた。子どもは塾へ行った・・・。きびしいなあ。

 京都では雨に降り込められながら、食卓のテーブルで原稿依頼のメールを書いたり助成金の申請書を書いたりした。週末にやっておくべき作業をまだまだいろいろ残したままウィークディに突入である。

 昨日今日はとりあえず家庭人。酒もこの2日飲んでいない。蕁麻疹も少しましなような気がする。
by kotoba1e | 2008-11-24 23:34 | もろもろ感想
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