倍音的
口琴のコンサートがあるというので行ってきた。楽器屋にチラシが置いてあったのである。
「Yugue(ユーゲ)」というカフェの名前は見たことがなかったが、住所を見れば近所である。多分たどりつけるだろう。 カフェでの口琴のライブである。口琴は倍音に富んだカラフルな音を持っているとはいえ、そんなに大きな音量を持つ楽器ではないし、だいたい会場も小さそうだ。そういう訳でこぢんまりとした可愛らしい、素人的なライブを想像していたのだった。迷いながらたどりついたカフェには看板も出ていなかった。かなりいい感じにいいかげんなカフェである。京町家と言えば言えるが、そんなに古い立派なものではなく、普通の京都の木造家屋であるところも悪くない。ジンジャーエールのメニュー上の名前が 「下鴨ジンジャー」なのも、一気に力が抜ける感じで良い。ここは下鴨糺(ただす)の森のほとりなのである。 狭いカフェの2階に案内されるとびっくりした。六畳間にびっしりと客が入っている。二十人はいたのではないだろうか。床が抜けそうである。建具をぶち抜いた四畳半がステージなのだが、そこにはイギルやディジユリドゥ、ヘッドだけのバスドラム(今はそういう便利な楽器があるのである)、UFO型のスチールドラム(ハングドラムと言うらしい。これは鳴らされるまで正体が判らなかった) といった楽器類がところ狭しと並んでいる。遅く会場に着いた僕は、六畳間の方にはすでに居場所がなく、四畳半の方に入り込む他なかった。これから登場するであろうミュージシャンとは至近距離ということになる。体育座りの体勢を取った僕の足は、すでに立てかけられたディジユリドゥの下に入っているのだった。 ライブのタイトルは、「倍音muライブ」。「倍音mu(ミュー)」とは、「倍音S(バイオンズ)」(現在は尾引浩志のソロ・プロジェクト)の最新アルバムのタイトルであり、それを引っさげての全国ツアーであったのだ。 ステージに登場した音楽家は、びっきーこと尾引浩志(口琴、イギルほか)その人と、宇宙人おーちゃん(口琴、パーカッションほか)、宇宙人よっしー(笛類、ディジユリドゥほか)の計三名、顔に不思議な絵を描いて異常に低い声を出しながら入場した。幼稚園児くらいの男の子がそれを怖がって泣き出したりした。 その日そこで演奏された音楽は、僕の最初の想像を大きく裏切るものだった。ちんまりとした侘び寂び系のものではなく、音色とリズムの圧倒的な奔流とでもいうべきものだったのである。 三人から出ている音であり、それぞれの音はしっかり際立って聴こえているというのに、それらは重なりあって、別の音をも生み出してしまう。ある音とない音が一緒に四畳半で踊っている感じである。倍音の魔法である。 口琴ももちろんなのだが、主にびっきーとおーちゃんから繰り出される、多彩な喉歌の響きに強く幻惑された。 喉歌は、喉や口腔といったところで地声に含まれる倍音を共鳴させてもう一つの音を創り出し、地声に重ねてもう一つのメロディを歌うという特異な唱法で、日本ではモンゴルのホーミーが広く知られているが、アルタイ山脈周辺の国々にさまざまな技巧が伝えられているらしい。テレビなどで見たことはあったし、不思議だなとは思っていたが、実際に目の前で音楽として経験するというのは、まったく違った体験だった。こういう音が人間の身体から出てくるというのがまず驚きであるが、聴いたことのない音色そのものが、やはり驚きである。下の地声が殆ど聴こえない、笛の音のような声には度肝を抜かれた。この世の音とは思われない。 だが、驚異という感覚はすぐに別のなんとも言いようのない感じに変容してしまう。きらめく響きと強靭なリズムの熱が、驚異に含まれている賢しらだった鋭角的な角を、あっという間に溶かし去ってしまうからだ。喉歌の倍音成分が他の楽音と重なりあいながら様々な響きを生み出して、六畳間をひたひたと満たしていくうちに、脳の中の「考える部分」は麻痺してしまう。そして心地よい疲れに似た、平和な高揚感が持続していくのである。 すっかり倍音Sの影響を受けた僕は、翌日から早速ホーメイの練習を始めた。自己流は良くないのかもしれないが、どうにも我慢できなかったのである。身体が求めたのだろう。「ホーミー」「ホーメイ」の語で検索をかけて、その発音法が記されているホームページを片っ端から調べた。いろいろ高度な技法があるようだが、最も基本的なのは、文字通り 「喉」を使うもののようだった。 ここでは詳しく書かないが、あれこれ試みるうちに、舌の後ろで共鳴させる方法と、口腔全体で響かせる方法の二つのやりかたの見当がついてきた。舌を口蓋に当てて部屋を作り、そこで共鳴させてやるのが、高音を作り出す基本的な方法のようだが、口全体を緩めて発声しているうちに、口周りからドソドミソドのアルぺジオが自然と漏れるようになってきて、先にこっちが出来るようになった。これがまたなかなか気持ちいいのである。 頭蓋の中でかすかに響いている倍音に意識を集中しているうちに、それがだんだん明瞭な輪郭をもつものになってくる。そしていつしか周りの者にも実際に聴こえるものになっていく。 この音色とその変化に耳を澄ましていると、暗が経つのをすっかり忘れてしまう。脳が痺れて何かがだだ漏れになっていることは判る。まだそんなに良い音が出ているわけではない、まったく初心者の段階だけれど、この脳天に抜ける倍音は、強い快美感をもたらしてくれる。うっとりと別のところへ連れて行ってしまうのだ。 倍音は重なりあうことで空間の中から新しい音を生み出す。それは確固とした音源を持たないという意味では幻の音であるが、確かに経験される現実の音でもある。倍音の現場は、非在から何かが漠々と生まれ続ける瞬間に満たされているのだ。そこは僕たちが普段経験している世界とは別の、なにか生命のふるさとめいた場所なのだ。倍音が僕たちを夢幻的なところに誘うのは、そんなところに理由があるような気がする。 僕たちの世界は、本当に確固とした物でできているのだろうか。こういう幻の音のような存在も実は多く混じっているのではないか、というより、実は僕らはみんなその音のような存在なのではないか。いくつもの波の重なりが時間の中で生み出す新しい波紋のようなもの……。 この生成の場所は、多分詩の生まれる場所でもあるのだ。そしていつか、そこへ言葉に乗って行けたらいいと思う。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - tab第5号(2007年5月15日発行)掲載のものを若干改稿しました。
by kotoba1e
| 2007-07-22 02:15
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