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黒田村で鮎釣りを

 先週の金、土(25、26日)と、右京区の黒田に行ってきた。縁あって地元の方の鮎釣りに混ぜていただく機会を得たので、うちの次男坊と職場の娘さん3名で、押し掛けることになったのだ。
 今年から京都市に編入されたけれど、山間の過疎の村である。5年ほど前に、100年以上続いた小学校が閉校となり、今年は京都市に編入されたことで、公民館制度がなくなった。これは、近世以来形を変えながら続いてきた、下黒田、宮、上黒田三ヶ村の寄り合いが消滅したことを意味する。また、小泉改革のあおりを食って、村の中心部にあった郵便局も廃止が決まったという。市街地では、大郵便局のすぐ裏手にある小さな特定郵便局でさえ廃止にならないのにである。山間部が狙い撃ちにされたというのが、顕著に現れている。
 そんな風に、ここ数年で、中心を次々に失ってきた村である。多分これは、黒田だけでなく、日本中で進んでいることなのだろう。日本の新自由主義(?)が捨てようとしているものが、目の前にあるという感じだ。学校がなくなったことは、ここをふるさととする世代が、今後は生まれ得ないことをそのまま示している。国と郷土への愛を大切にしようという陣営の方々は、一体どう考えているのだろうか?

 この時期の鮎釣りは、「ひっかけ」という漁法で行われる。竿の先に直付けした針(糸が仕組まれていて、鮎が係ると一定の長さまで竿から離れるようになっている)で、泳いでいる鮎を直接引っ掛けるのである。このためには水中の鮎の位置とその動きを正確に把握する必要があるので、釣り人はウエットスーツと水中眼鏡で武装して、ほとんど水に潜っていることになる。
 水中眼鏡をつけて、清流に顔をつけると、不思議な鮮明さで水中が見えるが、僕は鮎の姿を捉えることはできなかった。しかたがないので、底の礫の間に潜んでいるゴリ(ハゼ科のヨシノボリ類の近畿における通称名)とりに集中することにした。
 地元の方はさすがに上手い。今年は少ないと言っていたけれど、見たことも無いような巨大な鮎が何尾も引っかかっていた。
 女の人の環境適応能力は、さすがに男より高いと思った。みんなほとんど水辺の生き物と化していた。水の中にいて、これほど違和感のない人々もいないと思う。女は水のうまれなのだろう。

 川でそういうことをしていると、昔もっと豊かだった川で腕を鳴らした古老たちが、仕事そっちのけで集まってきて、橋の上からあれこれ指示を出し始める。やれあっちにもっといるの、そんな手つきじゃだめだだの。きっとじれったくてたまらないのだろう。それよりみんな、このふるさとの川が大好きなのだ。

 場所とか、風景とかいったものに、こんな関わりを持っているというのは、幸せなことだと思う。そして、そういう経験は、不要なものとして打ち捨てられつつある。この環境の親密さは、流行りの「環境教育」などでは、補完できない性質のものだと思う。あれは環境に対して、生態学的な先入見を植え付けてしまう性質のものだ。「環境教育」によっては、共同体の中で伝承されてきたような種類の親密さは、多分生まれないと思う。仕方のないことなのだけれど。

 鮎の塩焼きはおいしかった。ゴリの飴炊きもおいしかった。子どもも喜んでくれた。よい週末だったと思う。
by kotoba1e | 2006-08-28 19:06 | まち・地域・場所
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