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さくらについて

 京都は花の盛りである。家の近所の高野川の染井吉野も満開。鴨川は枝垂桜、大島桜や桃なども混じり、華やかなことこの上ない。

 染井吉野は江戸時代に江戸郊外の染井村(今は北区に属する)で作られたという、とりわけ花付きの良い品種。大島桜と江戸彼岸(枝垂桜の多くはこの仲間)のF1雑種だと言われている。結実しないので、挿し木で増やされる。葉が出る前に、とにかく多くの花を一斉に着け、一斉に散らすのが特徴で、今では街で桜と言えば、この品種を指すのが普通だ。
 大島桜は白い花と緑色の葉を出す。ややおおざっぱながら爽やかな印象だ。大きな口に白い葉を並べた南国の娘といったところだろうか。伊豆大島出身。これが染井吉野などに混ぜてところどころに植えられていると、良いアクセントになる。
 山桜は、花と同時に強い赤色の葉芽を展開させるのが特徴だ。花も赤みが強いが、全体に小振りで花付きも豊かだが染井吉野ほどうるさくないので、上品な印象である。樹形も染井吉野や大島桜がざっくりと低く構えるのに対して、すっきりと主幹を立てる傾向がある。伸びやかな樹体全体を使って、葉と花がいい案配に空隙を交えながら配されるその姿は、なんと言っても美しい。また、樹皮も滑らかで雅な感じだ。奈良の吉野山の桜はこれであるが、各地の山野に比較的普通に見られる。今の季節に里山を外から見ると、この山桜の桃色と辛夷の白が美しい。
 この他、小さい花を総状に付ける犬桜や上溝桜(ウワミズザクラ)、染井吉野が一段落した後で、街を彩り始める多種多様な里桜(八重桜)があるが、その愉しみは、今街を訪れているものとは少々別のものだろう。

 桜についてある程度知るようになると、一般的に見られる染井吉野が下品に思われてくる、ということを一度は経験する。むしろ山桜の優しい佇まいや大島桜の健康さを愛するようになると、染井吉野のこれでもかというような咲き方が嫌らしく思えてくる。あまりに人工的だという人もいるし、色が嫌いだという人もいる。

 しかし、染井吉野ほど不思議な色を持つ桜はない。そして咲く度に新しい桜もない。だいたい、桜のない季節には、先のように思っているのだ。山桜の方が美しいと。しかし実際に桜が咲き始めると、染井吉野は僕を脅かす。その名付けようのない淡すぎる花色は、その存在の強引さを徹底的に裏切る弱さを持っている。その色が花弁に直接乗っているのかどうかすら、確かめようがないように思われる。そのとりとめのなさを、記憶しておく術を、僕たちは多分持たない。記憶に残っていくのは、下品な樹形と、青空を背にした威圧的な花の塊だけなのだ。だからその花の出現は、毎年新しいものとして、驚きをもって経験される。梢の花も眼の下の花も、まったく同じ色に見える(それは異常な出来事である)。近いのか遠いのかさえわからなくなる、情報量の少なすぎる色。それは何か実在を超えたもの、この世ならぬものとの繋がりを感じさせるが、それは桜に対して誰もが知っていることに、結局は帰着するのだった。

 桜たちは、そんな瞑想に僕らを誘う。そのために僕らは、わざわざ理由を付けてまで桜の木の下に佇み、座るのだ。ほとんど本人達は気づいていないのだけれど。
by kotoba1e | 2006-04-08 23:02 | 自然と景色
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