オリックス人工海水水族館(その2)

 京都市の梅小路公園について。どうも頭がまとまらないところがあるけれど、続きを書いてみたいと思う。反対する声の中にどういうものがあるのかを拾い出してみると、
(1)公園が食いつぶされる
(2)京都に水族館を作る必然性がない
(3)イルカショーがよくない。動物虐待的である
(4)人工海水の処理よる環境負荷
(5)展示コンテンツの陳腐さ
(6)公園全体計画について

といったところに集約される。今回は民間事業者による整備ということで、税金の無駄遣い的な批判はあまり聞かない。そのかわり、民間事業者がなぜ公園で、というところが、結構みんなひっかかっているところなのだろうと思う。

 (1)「梅小路公園が水族館になっちゃう! 緑を守れ!」という人が多いが、水族館そのものの相当部分は現在未利用の部分にかかっているので、今の公園スペースが大々的に食いつぶされるということはない。芝生広場や「朱雀の庭」、「いのちの森」などは温存される。建物も3層程度なので、12mくらいだろうか。周囲の建築に比べて特に圧迫感があるとは言えないが、「ひろびろ感」は若干損なわれるだろう。北側の倉庫群や社宅群が公園内から見えなくなることについては、両論あると思うけれど必ずしも否定的な効果だけではないと思う。

 (2)の必然性の議論だが、これについては市側は「海がないから作るんだ」ということらしい。この都市にふさわしいかどうか、似つかわしいかどうかという議論は難しい。京都市にはサバンナがないから動物園を作る必然性はない、という言い方たぶん成立しない。「必然性」や「文脈」というのは大事なのだが、どう読解したかが大事なのだと思う。はっきりしない「京都らしさ」によりかかることにも、危険なところがあるだろう。この議論が難しいのは「京都らしさ」の問題があるからだが、これについてはここでは論じきれない。

 (3)いろいろ議論が出ているのがイルカショー。これを悪趣味として批判する人が多いようだ。条約違反で国際的にも非難されるかもというのもあるようだ。イルカショーを批判する理路は確かにあるのだろうと思う。ただ国民と京都市民の間には、日本の捕鯨を激しく非難する外国の人々に対する反感もあるし、世間でのイルカショーの人気も考え合わせると、この点からの批判は、市民的な応援は得難いかも、という気がする。

 (4)の「人工海水」についてはよくわからない。よくわからないが飼育される生き物にとってかなり不自然な環境であることは間違いないと思う。こういう技術とエネルギーでなんでもかんでも克服支配しようという考え方が、環境教育と親和的でないのは明らか。

 (5)京都市とオリックスの両方で、水族館の企画書がダウンロードできるので、ご確認を。一読してその陳腐さに失望した。京都に作られる新しい水族館としての志は全然感じられない。京都の地域環境については「山紫水明プラザ」というのが用意されているようだが、琵琶湖淀川水系の淡水魚関係の問題については何も触れられていない。多分何も知らないのだろう。琵琶湖博物館の水族展示が、ローカルな固有の環境と世界の水環境とを関連づけながら、博物館全体の地誌から文化に至る展示ともうまく繋げているのに比べると、ひどくお粗末である。
 研究企画機能について何も触れられていないのも気になる。ワークショップをいろいろやるようなことが書いてあるが、そのためにはちゃんとした研究と企画が行われる必要があるし、そのためのスタッフがちゃんと顔の見える仕事をする必要があるのだが。
 総じてどこかで聞いたような「エコ」用語で粉飾されてはいるけれど、まるで中身が無い。急ごしらえの印象である。

 (6)先に水族館の建築自体は公園をそれほど食いつぶさないと書いた。しかし、関連施設が出てくると話は変わってくる。3月13日の京都新聞の報道によれば、現在の七条入口広場を「緑の駐車場」に整備するのだという。この公園は東側と北側で道路に開口している。周囲の商店街など地域振興を図るなら、この北側開口部である七条入口広場は街に開く空間として最も大事な場所である。現行の広場もよくできているとは言えないけれど、いろいろなイベントに使える舗装されたハードな都市的な広場になっている意味はある。水族館ができたとしても、この場所は水族館と街をつなぐ重要な場所であるはずなのだが、水族館の集客計画は、ここを駐車場化するということと一体なのである。「緑の駐車場」と銘打ち、よくわからないイメージバースが付されているが、人が行き来しやすい場所になろうはずがない。
 現在の、七条入口から「緑の館」にいたるビスタと動線は破壊されるだろう。これによって梅小路公園の空間骨格は完全に変わってしまう。それは地域活性化とは逆の方向を向いたものになっていることも含め、破壊的なものだと思う。

 私としては水族館としての内容の無さと、公園全体をずたずたにする公園再整備計画とから、この水族館計画に反対である。

 ところで、これがオリックス不動産が自前で用意した土地に建設する、完全に民間の水族館であったら、このような反対運動は起きただろうか。根拠はないけれど、この場合には「京都にはいらない」という議論は起きなかったのではないかという気がしている。民間企業の普通のお商売であるから。それならば、家族連れがそこそこ喜んでくれる展示企画で、特段の問題はないだろう。
 これが公共空間である公園において行われるというところに、多くの市民が違和感を感じたということだと思う。都市公園に水族館があるというのは、上野恩賜公園やしながわ区民公園など、割とポピュラーな在り方である。もともと水族館は都市公園法施行令第5条第5項の教養施設に昔から列挙されている正統的な公園施設なのである。しかし、公共の教養施設であれば、そこで行われる展示や企画は一定の公共的意義を持つものとして行われなくてはならないだろう。市民による流域環境づくりが盛り上がってきている今、本当は水族館はすごく期待される施設でもあるはずなのだ。もっともそういう水族館はしかるべき場所に、しかるべきパートナーシップのもとに建設、運営されなくてはならないだろう。オリックス人工海水水族館は、このあたりの見識を欠いたところに大きな問題があると思う。

 ハコもの批判の形をとる反対意見も多いように思われるが、京都は必要なハコも作ってこなかったではないかという気もしている。滋賀の「琵琶湖博物館」、兵庫の「人と自然の博物館」など、地域の自然環境と人間活動の関わりの歴史を市民に伝えていこうという、新しいタイプの自然史博物館が近畿各県に生まれ、多くの成果をおさめている。大阪市の自然史博物館も恐竜主役の博物館からそちらに舵を切ったようだ。その中で京都だけがそういうものを持っていない。周りの自然環境がなければ京都文化はなかったというのに、それを学ぶ場がない。皮肉なことに京都大学など、自然と人間の関係についての学的人的蓄積ということでいえば、京都は凄いものを持っているのに、それを市民が共有できる基盤となる施設と組織がないのである。フィールドミュージアムとかエコミュージアムとか、いくら言っても絵に描いた餅である。人のいるコアミュージアムがなければ。
 木津川〜淀川のイタセンパラや桂川のアユモドキなど、市民が学んで取り組むべき水族的課題はあるのである。「京都に水族館は要らない」と威勢良く言い切ることはできないと思う。

 ところで、市民的な良識のかたちをした反対意見の底に「よその不動産屋が京都を荒らす」という、どこか排他的で差別的なものがまったく含まれていなかっただろうか。私たち自身少し考えてみるべきなのではないかという気もする。

 というわけで、私自身はこの計画に反対だけれど、巷の反対論についても微妙な違和感をいくつか感じているということなのであった。



京都市による説明資料「梅小路公園の再整備に当たって
オリックス不動産による(仮称)京都水族館説明資料
京都新聞「京都市が再整備案 緑化駐車場新設 水族館計画の梅小路公園」2010年3月13日(土)

水族館計画の梅小路公園再整備案

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by kotoba1e | 2010-03-17 17:23 | 梅小路水族館をめぐって
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