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このところ

■1月19日(月)
 朝一番で卒業制作の相談。みんな焦っているが、大丈夫。確実に進んでいるよ。
 それから子どもの進学関係で大阪の2ヶ所を回る。長男の試験は上首尾を得たようだ。
 彼のこの1年の頑張りは、その年頃の自分にはどうやってもできなかったものであるし、いまでもやはりできないものなので、どうしてそういうことができるように育ったのか不思議である。彼は頑張れば報われるということを、実感として得たのではないだろうか。これはきっと良いことなのだとおもう。「そうではない場合」への想像力を、どのようにして獲得するか。

■1月20日(火)
 職場のしんどい会議あと、トレードマーク京都にて、天若湖アートプロジェクトの本づくり会議。今回は4年前から続けて参加してくれている、京都市立芸大のグループが参加してくれた。編集部が考えてきたことを「伝える」ことで、やるべきことが一気に具体的に見えてくる。彼女たちの持ち分だけでなく、ひとりひとりがやるべきことも、反射光を受けて明らかになる。佳境に入ってきた感じだ。

■1月21日(水)
 院生の論文を3件チェック。しばし思い悩む。
 夕方からは、桂川流域ネットワークの例会。今夜のテーマは「大戸川ダムは何が問題なのか?」。住民は立ち退いたが、国土交通省もやらないといったりやるといったりして、方向の定まらないこのダムは、今や淀川水系流域委員会と国土交通省の対立のシンボルとなってしまっている。
 淀川水系流域委員会と国土交通省の衝突については、新聞でもよく報道されているところであるが、今後建設(または再開発)されるかもしれない(されないかもしれない)5ダムのなかで、大戸川ダムだけがなぜクローズアップされるのか、実は新聞記事だけではよくわからない。
 それから、新聞では2者の衝突という具合に報じられるが、事態はそんなに単純ではないこともよくわかった。このあたりはものすごくコクのある話なので、機会があれば改めて論じたいと思う。
 ここではひとこと。淀川水系流域委員会とその開設当時の国土交通省がやろうとしたことは、河川についての意思決定の民主化だった。その議論の過程は徹底的に透明化され、膨大な量の議事録が公開されている。皮肉なことに、要約されぬままに吐き出されるデータは、これはごく一部のマニア以外には眼を通せない、理解できないものになってしまった。河川に関心を持つ市民の誰もが、わかりやすい要約版を求めているのだが、メディアによる構図の単純化は、そうした要求にまったく応えていない。それは具体的な議論の血肉を削り落とし、劇画的な構図に書き換えてしまう。そして市民は単純な選択肢のなかでものを考えざるを得なくなる。NPOセクターにできることは何かを考えてしまうひとときである。

 たとえば、人はいなくなったがダムはできていない大戸川ダム予定地に、真夜中忍び込んで、かつての家々の灯りを灯したら、それはどういうメッセージになるのだろうか。即物的には日吉ダムで行われているのとまったく同じ行為が、まったく別の読まれ方をすることにだろう(おそらく、ゲリラ的な異議申し立てとして受け止められるだろう)・・・。

 よく話題になる大戸川ダムだが、その場所情報等は意外といっていいくらい知られていない。ダム堤体の長さは330メートルを、高さは90メートルを超えるというから、相当なものである。そして最大貯水容量は日吉ダムのちょうど半分の33,000千立米。これが山奥ではなく、川が山間から平野に出ようとするところに作られるのだから、びっくりである。

 ここに、どんな風景があるのか、知りたいとおもう。
by kotoba1e | 2009-01-22 01:05 | 日々のあれこれ
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