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忘却

■1月17日(土)
 子どもの試験があるというので、5時半に起きてもぞもぞと準備。まだ薄暗い頃に車を出して、四条の駅まで送った。
 家についてテレビを点けると、阪神淡路大震災14年の番組をやっていた。1月17日午前5時46分。その暗さ寒さを今朝、経験したはずなのに、この地震のこと、このテレビを見るまで、まったく思いださなかったのはどういうことだろう。

 14年前のその日、僕は神戸大学脇の斜面に建っていた、当時勤めていた会社の独身寮にいたのだった。まったく経験したことのない揺れに眼を開けてみると、天井の梁が、というか部屋中が、ふしぎな曲線を脈打たせて動いているのが見えた。驚いて上半身を起こして、すぐ横にあったスチール本棚を力一杯押さえているうちに揺れは収まった。少しほっとして一旦横になろうとしたが、それはできない相談だった。ついいままで横になってところには、押さえられなかった本棚が3つ、きれいに倒れ込んできていたのだった。もう少し起き上がるのが遅かったら、と思うとぞっとした。
 寮の食堂に行ってみると、寮生たちが集まっていた。電気がダメでテレビも点かないというので、カーラジオを聞いてみよう、ついでにジュースを買って来ようということになり、僕が係りにさせられた。
 車のラジオは、大阪のお年寄りが転んだとか、そういう呑気なニュースを伝えていた。たいしたことなかったのかな、と思っていたのだが、阪急やJRの線路の当たりまで下りたころには、見たことのない風景にただただ驚いていた。
 燃え上がる家、厳寒の未明の道を、ふとんをかぶって逃げ惑う人々。崩れて国道に「流れ出して」しまったビル。一刀両断、といった切り口を見せて横たわっていた、巨大な鉄製の道路照明柱。自動販売機はみな死んでおり、ジュースを買うという任務は結局果たせなかったように思う。
 六甲台まで戻ると、寮には電気が戻っていて、横倒しになった高速道路のニュースが入ってきていた。高台の寮からは、下町のところどころに火の手が上がっているのが見えていた。それから異動で奈良の社宅に移るまで、被災地の瓦礫を踏む生活が数ヶ月続いた。

 経験したことのない強烈な地震と、その後の暮らしだったはずだった。しかしその経験は、たかだか14年で相当に風化してしまった。神戸に住みつづけていたら、また違ったのかもしれない。奈良、京都と居を移し、その街を遠く離れたということが、出来事の記憶も遠いものにしているのかもしれない。
 テレビの中で涙を流している人々の姿を見て、地震のことを忘れていた自分を、少し恥ずかしく思ったが、それはいけないことなのか、少しわからない気もした。その記憶を留めるということに、どういう意味があるのかも、実は丁寧に考えたことがなかったようにも思った。

 街が無くなること、遠くへ移ること、時間が経っていくこと。こういうことは、こうした大地震でなくても起きることだ。たとえばダムの建設などで。
 僕たちは「場所の記憶」というようなことを、割と簡単に口にする。でも記憶というものはそんなに確固たるあり方をしている訳ではなく、忘却と複雑で動的な錯合をなしているように思う。忘れることそのものが、記憶の重要なある部分を占めているような気がするというか。
 「場所の記憶」。覚えているのは誰なのだろうか。忘れるのは、忘れられるのは誰なのだろうか。
by kotoba1e | 2009-01-17 23:06 | 日々のあれこれ
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