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加藤周一「羊の歌」を読んで

 昨年下半期は、まったく本を読まなかったような気がする。忙しかったのもあるけれど、時間がまったくなかった訳でもない。何か本を読むこころができていなかったのだろうと思う。
 この正月には何冊か読むことができた。一番最近読んだのが、山猫先生とナカツカさんに勧められた、加藤周一「羊の歌」(岩波新書)である。加藤の幼年期から終戦までの記憶を綴ったエッセイである。
 開くと、古い岩波新書らしい、細目の典雅な字体にはっとさせられる。読み出すと加藤の育ちの良さにびっくりするというか少々辟易もするが、さらに読み進めていくと、それ以上に「眺める人」としての、幼時からの一貫した精神のありようが軸になっていることに気付かされる。一切の共同体とそれが強いる感情から切り離されたところにいた人であることがわかる。
 この孤独な「見る人」の佇まいには見覚えがあった。谷川俊太郎である。文体は全然違うが、寄る辺なさのただ中から視線そのものを提示する人、というところはそのままに重なり合う。この本の中の加藤は、気付いたら芝生にいたという宇宙人に、確かによく似ている。
 こういう一見して客観主義のように見える視線のありようを、モダンなものとして、誉め讃えることも、批判することもできるだろう。しかしとどのつまりは、二人とも田舎っぺではなく、都会っ子だったということなのかもしれない。生まれたときから農村的な共同体の外側にいたこと、風土環境との親しい交渉を持たなかったことが、大きく二人の資質に影響しているではないか。
 加藤が「近代的」な人であるのは間違いない。しかし、加藤はこの視線を時代に属するものだとは思っていないように見える。来るべき良き時代をもたらすものの見方であるとかといった正当化や、自負のようなものは、「羊の歌」には見受けられない。たまたまそういう資質であった、という感じなのである。そしてその佇まいは、しばしばさびし気なのであった。
 千葉の村の風景と親しくあったであろう恋人について語るときも、その親しさについて十分に意識的でありながら、それをくさすようなことは全くない。同時に恋人が郷里の風景ともっているような関係を、加藤は決して持ち得ないという自覚が強くにじみ出る。
 しかし、そんな加藤にも、風景がこの上なく美しく輝きながら現前することが、稀にあったようだ。そういった風景の描写は素晴らしい。8月15日の放送を聴いた後の風景の立ち現れ方は、際立って印象的だった。こうした風景の輝かしさ。これを捉え直していくことは、現代のわれわれにも課されている問いなのではないか。
 環境論は、急速に共同体的なものの支持にまわりつつある。僕自身、そういう立場を明確にとっている者である。しかし、かつてのムラがいいことばかりではなかったのは確かであるし、何よりもそうした共同体はすでに郷愁の対象でしかない。人口の90パーセント以上が都市計画区域に住むこの国では、だれもが「近代的」な「都会っ子」の側面を持つようになっているのだと思う。我々がいかに懐旧的なものを演じようとしても、風景はかつてのようには親しく振る舞ってはくれまい。
 60年以上前に加藤が見出そうとしていたものは、今の我々にとって「これから見出されるもの」なのかもしれないと思うのである。

貧しさとしてのR&R 貧しさとしての谷川
http://overtones.exblog.jp/8440210
by kotoba1e | 2009-01-07 00:18 | もろもろ感想
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