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宴会いろいろ

年末だからあたりまではあるけれど、このところ宴会続きである。

■12月19日(金)
 仕事の後、東山連峰山中の仕事場から盆地を横断して、乙訓は大原野神社へ急行。大枝アートプロジェクトの「どぞばた上映会」で、滋賀県近江八幡市の奇祭「ほんがら」の復活を記録したドキュメンタリー映画「ほんがら」(長岡野亜監督作品)が上映されるとのこと。結局職場を出るのが遅くなって、最後の20分くらいしか見られなかったが、その後の鍋の会が面白かった。河川レンジャーで旧知のヤギヌマさん、黒田村で出会ってから5、6年の付き合いになるシイハラさん、市立芸大のイノウエ先生など見知った顔もちらほら。アサヒ・アートフェスティバル(大枝も、この「ほんがら」もAAFに参加している)の関係で、淡路島アートセンターからクボさん、タクボさんのお二方が、「ほんがら」チームからは監督のナガオカさん、制作にあたった地域系NPO「ひょうたんからKO-MA」のフジタさんが来られていた。何よりも地元から参加されている、お二人のサイトーさんのお話が面白く味わい深かった。竹で作った楽器で自作曲を演奏するチームを作っているなんて、これから僕がやろうと思っていることそのものではないか。口琴を演奏させてもらったりして、再会を約した。会場となった「春日野茶屋」は、いつも市立芸大の学生たちを中心に開催される「大原野音楽会」の舞台となるところらしく、女将のヒサイさんは、地域の音楽文化のプロデューサーといったところ。出演させてもらえるように精進しようと思う。「春日野茶屋」特製のお鍋、美味しかったです。車で来たのを後悔。今度はバスで来ようと思った。
 素敵な会を仕切ってくれたミズグチさん、ヒロさん、ありがとうございました。

■12月20日(土)
 理事をしているNPO法人「アート・プランまぜまぜ」の初期に関わってくれていたSくんが、仕事が決まって京都を離れることになったので、急遽事務所で壮行会を開いた。4時くらいに酒を抱えて事務所入りし、理事長と一緒に鍋の用意をする。書家のマブチさんを交えての、4人のひっそりとした、けれど良い会だった。いろいろあってSくんの面影は少々変わったけれど、話していると活発に動いてくれていた頃のことがいろいろ思いだされる。1時もまわっての解散の折りには、ちょっとぐっとくるものもあった。
 4人に一升瓶2本とビール1ダース近くを空けたのは少々やりすぎだったかとも思う。

■12月21日(日)
 京都の市街地から山を一つ隔てた、桂川最上流域にあたる京北黒田で、「大忘年会」。大学の施設で村を挙げての大コンサートである。前座でわが「瓜生山オーバートーン・アンサンブル(以下UOEという)」も演奏させていただくほか、地元の大正琴グループや、「おやじバンド」も出演した。特にトリをつとめた「黒田バンド」は、懐メロ歌謡とアニソンを、シンプルかつ完璧なアンサンブルで演奏し、会場を熱狂の渦に変えた。アンコールの「さんぽ」で、会場を埋め尽くす老若男女がその場で行進するのは壮観であった。その演奏の質には、わがUOEのメンバーで自分のバンドでのライブ経験も豊かなナカツカさんの度肝を抜いたようだった。僕もこの「黒田バンド」に入れてほしいとさえ思った。来年はセッションできたらなあ。
 うちの次男は、去年この会場でこの「黒田バンド」の演奏に触れて以来すっかりファンになってしまって、この日がものすごく楽しみだったらしい。その興奮ぶりは、ホンダさんのブログに紹介されている。
 地元の人たちが設立した「おーらい黒田屋」さんが、お酒や焼鳥、おでんを売ってくれて賑やかさを添える。どれもとても美味しかった。すっかりいい気分で絶叫である。
 お客さんたちが帰ったあと、UOEのメンバーと残ってくれたホンダさんたちで、会場のあちこちで散発的なセッション。時々合流して密度が上がるのが面白い。

■12月22日(日)
 目覚めたら、人っ子一人いない黒田村の会場である。とても寒い。大きな木の引き戸を開けると、雨の音と冷えた空気が一気に入ってきた。次男坊とUOEのアライ君はまだ寝ているので、黙々と昨日の残骸を片付けた。
 調整ごとを済ませて京都に着いたのは昼過ぎ。家に辿り着いて疲れを始めて自覚した。以降ぐったりと過ごした。大阪のNPOの忘年会はキャンセルである。
 明日は忘れ物のような用事があって、また黒田行き。向うで文章(仕事のだけど)を書いて来ようと思う。
by kotoba1e | 2008-12-23 00:51 | 日々のあれこれ
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