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ナンバ歩き

昨日から始めたナンバ歩きだが、だいぶコツがつかめてきた。
よく言われる、右手と右足、左手と左足を同時に出す、というのは、あまり本質的なことではないようだ。むしろ、骨盤を揺動させる感じが大事なようだ。
足だけであるくのとは別次元の全身運動である。どすんどすんというしょうげきがなく、滑るように前進する感じが新鮮。
知らなかった新型の乗り物に乗っている気分だ。
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by kotoba1e | 2009-10-30 00:05 | 日々のあれこれ

ナンバ歩きなど

■10月25日(日)
 日本造園学会の関西支部大会に出席するため、大阪天満橋のドーンセンターへ。研究発表会で座長を拝命したが、頭の調子悪く、うまくまとめられず。東京大学のS村先生が最後にびしっとまとめてくださったので結果オーライということでよしとする。座長というのは、自分の考えでまとめるんではなくて、いい流れを作っていい感じでみなさんに持ち帰ってもらえるものを生み出せたらいいのだろう、と思えば、今回のもあながち失敗ではなかったのかもしれない。
 閉会後、打ち上げがあったのだが、大学の先輩で大阪府にお勤めのS村さん(先のS村先生とは別人)がいらしていたので、打ち上げには向かわず、二人で天満橋駅前の飲み屋へ。「ずいぶん久しぶりちゃうか」「一年くらい前にこの天満橋のうどん屋でお会いしましたよ」「同窓会全然やってへんな・・・」
 酒を酌み交していると、向いのテーブルに環境サインの名門A社のI井さんが・・・。12〜3年ぶりくらいの再開だ。全然変わらないので、そんなに会っていないとも思えなかったが。たまたま東京から出てきて、大阪支社の若いのを連れて飲みにきていたとのこと。
 毎日いろいろ懐かしいことである。

■10月27日(火)
 昨日一日酒を飲まなかったら、やはり朝調子が良い。断酒中は毎日こうだったんだな。
 事務仕事を済まして、逃げるように三条へ行き、本を探してから三条のスターバックスへ。随分久しぶりである。広かった地下室は、ずいぶん椅子の混み合った部屋に変わっていた。原稿を一本(300字にも満たないものだが、却って難しかったりする)を書き終え、かねてから興味のあった「ナンバ歩き」で洛北高野の家まで歩いた。
 右足と右手、左足と左手を同時に出す歩き方、というところがやたら強調されるが、手の振り方よりも、骨盤の使い方がキモのようである。それも、前方への振り出しよりも、後方への押し出しが大事なようでもある。
 骨盤を体軸まわりに柔らかく揺動させ、脚はそれに応じて動く、という感じのようだ。歩幅は自然と大きくなるので、ゆっくりしたリズムで歩いていても、ちょっとした小走りくらいの速度が出ているようだ。
 試していると、関節の空間的な位置が改めて認識される。ホーメイを始めたときのような興奮が、少しだが感じられる。もしかしたら面白いのかも・・・。
 ただ体全体が骨盤の回転に合わせて揺動するので、どうしても「肩で風を切る」ような感じになってしまう。角力のどすこい、にも似た感じのリズムである。もとより柔和な顔立ちではないので、この歩き方だと怖がる向きも出てきそうではある。
 このナンバ歩きで、2週間後の屋久島行きでの膝痛を避けることができるだろうか?

 鹿児島・宮崎の木製三味線「ごったん」について調べていたら、面白いサイトを発見した。
http://blogs.yahoo.co.jp/sanshin_ism34

お友達になりたいものである。
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by kotoba1e | 2009-10-27 23:20 | 日々のあれこれ

日吉会/亀岡祭

■10月24日(土)
 14時。日吉ダム建設に関わった水資源公団OBの同窓会、「日吉会」にさとうひさゑさんと参加。天若湖アートプロジェクトについて、紹介させていただく。思わず話が長くなってしまって反省。
 ひととおり型通りの会が終わってからは、懇親会へ。天若湖アートプロジェクトも今年で5回を数え、その前の桂川流域ネット時代からだと、もう随分長いおつきあいになる。その頃ダム管理所に所長としていらした、懐かしい方々とも久方ぶりにお話することができた。
 リラックスした雰囲気で言葉を交わすなかで、現場の人々の想いを感じた。僕自身が、ニュータウン開発の現場育ちであったということもあり、土木事務所独特の雰囲気への個人的な郷愁もあったのかもしれない。そう思って会場を見渡すと、どの人も知っている人のような気がしてくるのであった。
 天若湖アートプロジェクトは、ダムを舞台にした社会的なプロジェクトである。美しいだけでなく、見る人にはさまざまな思いを抱かせ、問いを突きつける性質を持つものだが、作品自体は反ダムでも、親ダムでもないニュートラルなものだ。
 もしかしたら、誰にもわかってもらえないかもしれない、でも・・・という覚悟で始めたものだったが、回を重ねた今では幅広い人々に受け入れていただいている。そしてこれをきっかけに、色々な人々の心に触れることができた。つくづく幸せなプロジェクトだと思う。

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 少々感激的な気持ちになりつつ、日没頃に日吉を辞す。そういえば亀岡祭やってるんだっけ、日吉からだったら帰り道だし...。ということで、急遽亀岡に寄ることに。
 筋金入りの亀岡ファンであるさとうさんに案内していただく。
 灯籠が並び、お囃子が筋を渡って聞こえてくる。それに誘われるようにして、亀山城の城下町をさまよった。京都とは違って妻入りの町家も多く、独特の情趣がある。
 ところどころひときわ明るい町家の玄関では、子どもたちがバイオリンの発表会をしていたり、手作りの甲冑や、百年前の嫁入り衣装を展示したりしている。賑わいの塊がやってきて、またふっと静かになったりする。その疎密も、道幅も快い。
 お寺の境内でふと目をあげると、町家やお寺の屋根並みをなぞるようにして、夕暮れの山並みが見える。美しい街だと思った。こんな街に住めたら、せめて事務所を構えられたら...などと思ったりもした。
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 鉦と笛の音が聞こえてくる方にふらふらと行くと、通りの真ん中に山鉾が据えられていた。吊るされたおびただしい数の提灯のその向こう側で、童子たちがきらきらした音を奏でている。子どもの頃にこんな経験ができたら、きっと心に残るんだろうな。

 ところどころでお神酒をいただいて、すっかりいい気分である(日吉会の時点ですっかり酔ってはいたのだが)。露店が出ている賑わった筋に入ると、迷いそうになったりはぐれそうになったりしながら、斜めになって歩いた。隙間からその奥の街を見ると、駐車場の暗がりで立ち食いをしている中学生たちの顔が、明るく照らし出されていた。

 ひととおり城下町を廻って駅前に出ると、すっかりいつもの亀岡である。駅前の立ち食いのたこ焼き屋さんで一休み。ここでも瓶ビールをいただいて、一層いい気分である。ここのおばちゃん(上品な人であった)の話がまためっぽう面白く、驚き笑いながら、勇気づけられたりもした。この話だけで小説が書けそうである。
 気がつけば22時をまわっていた。

 気忙しくすっきりしない日々の中、唐突に割り込んできた、素晴らしい一日だった。
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by kotoba1e | 2009-10-26 23:18 | まち・地域・場所

胡麻のことその他(2)

■10月21日(水)
 桂川流域ネットワークの定例会。
 この日はなによりも、桂川上流域を含む、丹波地方の地域史家であられるA里さんが参加されたのが、何よりもインパクト大であった。
 桂川の一本北を行く支流、田原川に筏問屋があったのは知っていたが、由良川上流域からの材を峠を担ぎ越えて都に流す拠点となっていたという話は初めてうかがった。
 それと、日吉胡麻地域畑川上流に、終戦時に放棄されたダムの廃墟があるという話は、とても刺激的だった、今も朽ちつつある水路などその当時の姿を留めているという。当時の立ち退きの記憶をお持ちの方もいらっしゃるとか。
 胡麻といえば、比較新しい日吉の新開地という印象があったのだが、そのさらに昔の地史的な層、それから近代化の中で見えなくなっていった景観の層、そういったものにあらためて眼を開かれた思いがした。
 そういった刺激が、流域の市民の交流の中で得られていることが、素晴らしく、また面白いと思う。 
 これだからやめられない。
 来年の秋、アート・プランまぜまぜと、桂川流域ネットワークの共催による、現地探訪が実現するに相違ない。今から楽しみである。
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by kotoba1e | 2009-10-23 00:18 | N・P・O

ライブ告知!

というわけで、久しぶりにライブです!

京都洛北の山々を分け入ったところにある古代からの林業の村、黒田で開催される
「黒田ふれあい祭り2009」に
瓜生山オーバートーン・アンサンブルが出演します。

聴くと頭が空っぽになる。
馬鹿になる。
そういう音楽を目指しております。

少なくともよだれは出ると思います。

そういう気持ちになりたい方は、是非お越し下さい!

おいしいものが好きな方は、耳を塞いででもお越し下さい!

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黒田ふれあい祭り2009

新鮮な地場の産物が主役のお祭りです。

場所:京都市右京区京北宮(宮は、旧京北町の黒田地域の中心集落です)
   おーらい黒田屋前広場

ライブ日時:2009年11月1日(日) 11:30より

出演:瓜生山オーバートーン・アンサンブルほか

おーらい黒田屋の地図(google map)
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by kotoba1e | 2009-10-20 00:17 | 喉歌入門記

ダンバクF

 「ダンパクF」に行ってきた。
「団地マニア」からなるプロジェクトDによる、調査発表プレゼンテーションであった。住宅公団大阪支所の初期の作品である、千里山団地(大阪府企業庁による千里ニュータウンとは異なる)での開催。
 僕自身、団地マニア(というよりはニュータウンマニア、この差は常人には理解し難いであろう・・・)であるのだが、これに行った縁は、卒業生のH田くんがこのプロジェクト関連の展覧会に関わり、今後の運営にも関わっていきそうな感じだったからだ。

 「ダンパク」は文句なく面白かった。特に最後の発表者江口さん(姿形は若いが、プレゼンを見ると相当昔の人の要でもある・・・年齢不詳)の、住まい手からの発表は、団地への愛に溢れたもので感動的であった。涙が出そうになるが、団地にしてみたら、ここまで愛されるのは気持ち悪いかも・・・。何しろウン十年前の当選通知はがきから、入居時のもろもろの物品のチラシまで保存してあるのだから。ある意味ストーカー的な愛である。でも一緒に住んでいるわけだから・・・。
 UR都市機構の倉庫の奥から見つかったという千里山団地の工事記録映像は、衝撃的なものであった。この美しい団地を作ったのは、まぎれもなく半世紀前の日本だった。安全帯もヘルメットもつけずに苛酷な作業に携わる労働者の姿にはびっくりした。現代の労働安全の考え方など、当時はなかったのだろう。漱石の「坑夫」のような世界である。
 荒々しい自然(とアナウンサーは言うが、郊外のおだやかな里山である)を、人間の叡智が克服し、文化国家を建設するのだ、という内容はまさに高度成長期のものであるが、あんまり自信たっぷりに言われると、今見るとシュールといっていいくらいの違和感があった。
 なにより驚いたのは、その映画のつくりであった。その音楽の使い方、アナウンスの高揚した様子などは、戦時中のニュース映像や、共産圏のプロバガンダ映像を彷彿とさせるものだった。開発に邁進する戦後日本が、社会主義的なものだったということが、痛感された。当たり前であるが、日本住宅公団は国土開発のための国営企業だったわけだし。

 H田くん達は、この千里山にアート拠点を作りたいらしい。しかし、この地への愛着やこだわりは全然ないようだ。むしろ、「アートの方法」がユニバーサルなものとして事前に存在していて、それをあてはめていきたい、といった感じだった。いいのかな、それで・・・。
 アーティストと地元との交流、というけれど、それがなにをもたらしていくのか、そこに暮らすこと生きることに関心を持たずにやっていけるものかどうか・・・。彼らならやっていけてしまうのかもしれない。僕にはたぶんムリだけど・・・。
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by kotoba1e | 2009-10-20 00:00 | まち・地域・場所

近況

■10月9日(金)
 大学院を出たばかりのH田くんとランドスケープに移ったY口さんが訪ねてきた。なんでも、市と連携して千里の団地でアートプロジェクトをするので、NPOを立ち上げることになりそうだ、アドバイスが欲しい、とのこと。
 ニュータウンや団地の計画・設計、アートプロジェクトの企画・実施、NPOの立ち上げ、の3つをいちどきに語れる人間はおそらくそう沢山はいないはずで、私のところに来たのは大変効率のよい選択であったのだろうと思う。
 とりあえず、18日に開催される団地マニアの祭典「ダンパクF」に行くことにした。

■10月10日(土)
 家族で大原へ。草木染めの「大原工房」工房でお世話になっている卒業生、S藤くんにあった。元気そうでなにより。染織の傍ら農業実践に取り組んでいるという畑に案内してもらった。
 百井の里は、大原からずんずんと、不安になるくらいに山を登っていったところにこじんまりとある集落だった。でも、家はどれも大きく豊かな印象をうけた。その山中の谷にそってきれいに手が入れられた畑があった。子どもたちはうれしそうである。通り雨が来たので、畑の桜の木の下にブルーシートでテントを張った。雨が上がって陽が傾いてきた頃、色づいた田の空気が一斉に輝き出した。タンプーラとホーメイで思わず賞賛の歌を奉る。

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■10月11日(土)
 NPO法人アート・プランまぜまぜの高橋さん、さとうさん、画家の渡邉さんと、事例収集に綾部の奥上林へ。
 街道沿いには風格のある集落が点々とあり、思わず車を停めて写真をとった。板をかぶせられた茅葺き民家群なのだが、その屋根がなにかいいたげなのであった。板金職人の心意気を感じるというか、その仕事が街並を生まれ変わらせていると感じた。
 旧奥上林小学校では、彫刻家の松浦さんが滞在して制作をされていた。村との関わり、制作等について、いろいろお話をうかがった。
 午後には高橋さんの別荘がある、日吉町胡麻へ。同じ日吉町で開催されてきた天若湖アートプロジェクトからのスピンアウトプロジェクトが、ここで企画されているのだ。歌手の井尻有香さんが旦那さんのデトレフ・シャウベッカーさんが始めた素敵なカフェ「みとき屋」を訪問。この日はドイツビール祭りということで、いろんなところからいろんな人が集まっていた。正にアートを介した地域の交流拠点として機能していると感じた。
 私が持っていた奇妙な楽器は、やはりそこにいた人々の興味を惹いたようで、タンプーラとホーメイを披露することとなった。インドのドローンにトゥバの倍音唱法。普通には出会うことのないこの2つの音の相性の良さを改めて感じる。さとうさんにタンプーラの伴奏をお願いして、デュオでやったりもした。
 夜は高橋さん宅で戦略会議。渡邉さんが暖炉に火をくべている。私たちは1947年と2003年のこの地の航空写真に見入っていた。ドーナツ型の田んぼに囲まれた丸い山。不思議な景観だ。府のレッドデータブックにも記載されている。珍地形であるらしい。今度登ってみよう、ということになった。
 さとうさんは多くのヒントを得たようだった。良い小旅行であった。

■10月12日(日)
 家族で宇治へ。おもちゃ屋の「ぱふ:キッズいわき」で、シンプルなボードゲームを購入。ほんださとるさん宅でやった「森の影」はなかった。宇治一帯を散策して、のんびりと過ごした。
 3日間のんびりと過ごしてしまった呪いを、今受けているのだが・・・。

■10月14日(水)
 白河総合支援学校の エデュトーププロジェクト会議へ。プールを改修して作った広場を活かしたイベントについていろいろ考える。
 11月4日には、ここで長岡野亜監督の「ほんがら」の屋外上映会をすることになった。夜のプールにプロジェクターを持ち込んで、あれこれ検討する。校舎に大きく映像が映り込んで、思わぬ幻想的な風景となった。
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by kotoba1e | 2009-10-16 00:57 | 日々のあれこれ

銀の連休記(3)

■9月22日(火)
 子どもが残したバイ貝を多量に食べ過ぎたせいか、あるいは夜中に寝床に進入してきた美猫のせいか、あまり寝られなかったような気がする。二日酔いのはずではないけれど。
 海辺のニュータウンに唐突に立地するこの民宿「のと」であったが、猫のちびくろの可愛さはそのアレを補ってなおあまりあるものであった。

 もう一つ、この宿に泊まらなければなかったであろう偶然があった。たまたま泊まり合わせたYさんは、新潟出身で、千葉の大学で建築やまちづくりを学ぶ大学生。レンタカーを借りて佐渡を回っているのだけれど、よかったらご一緒しませんか、と誘って下さった。なんでも、千石船を作っていたという宿根木集落に行ってきたが素晴らしかったということである。一度行ったところで申し訳ないけれど、もう一度そちらに案内していただけないか、とお願いすると快諾して下さった。

 ということで、この日は宿根木である。これまで路線バスの旅であったが、ここにきて自動車の機動力に助けられた。Yさんの運転で、小木に近いが全く表情の異なる海辺の村へ。
 板で葺いて玉石で押さえた屋根。全面を木の板で押さえた装甲のようなファサード。見たことのない日本の街並であった。立派な造りの民家には、造船の技術も使われているのだとか。新奇な建物も少なく、町の姿が美しく保たれている。素晴らしいものを見たと思った。
 街並だけでなく、村の港から洞門を抜けた海辺の風景も印象的だった。火山活動と激しい浸食とがせめぎあう、とても厳しい風景であった。
 ニュータウン化していた小木とは異なり、周到なまちなみ保全が行われていた。どのような保全制度が用いられているのか、どのようなグループが活動しているのかといった資料が置かれていなかったのが少しだけ残念であった。

 昼前に小木に戻り、港でYさんと別れた。おかげさまでよいものを見ることができました。こういう出会いも旅の楽しみである。
 小木港では、家族で「たらい舟」に乗った。もともとはサザエやアワビを穫るのに漁師が使ったものだということで、宿根木の浜にもFRPなどでコーティングされた、現役の「たらい舟」を多く見ることができた。ここで乗せてもらうのは観光化されたもので、おけさ踊りのような格好をしたお姉さんが、港の中を漕いで廻ってくれるというものだ。お姉さんたちは、舟の前方についた櫓を器用に操作して、すいすいと「たらい」を進める。これはなかなか大した技であると思った。やらせてもらうとぜんぜん上手くいかない。なんでも、何時間も掛けて新潟まで渡ったお姉さんもいるらしい(そういうイベントがあったのだそうだ)。観光化されているとは言っても、その舟の経験そのものの面白さを全面に出して、新しい命を得ているのだと思った。でも、海浜生物の観察イベントなどにも使えそうではある。いろいろな活かし方がありそうだ。

 フェリーに乗ると、カモメの群れが追いかけてきた。甲板でスナック菓子を差し出すと、器用に取って行く。鳥たちに見送られながら、佐渡を離れた。直江津までの3時間、地酒のワンカップを飲み比べて過ごしたのであった。

 よい旅だったと思う。今回行ったのは、佐渡のごく一部に過ぎない。また行ってみたいと思う。
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by kotoba1e | 2009-10-11 00:16 | まち・地域・場所

町田康『告白』

 町田康『告白』(中公文庫)を読了。夢中になって読んだ。そしてびっくりした。
 その自由自在な語りに圧倒されつつ、時に痙攣的に爆笑させられながら、最後には重い感動を得た。
 思弁の人熊太郎云々ということについては、多くのところで書かれているので、ここでは書かない。
 往古の共同体的なもの、昔々の井伏鱒二の小説なんかにはあっても、このところの現代的で都市的なお文学からはすっかり時代遅れなものとして消去されてしまった「ムラ」の感受性と思惟のありよう、そしてそこにおける孤独というものが、いきなり同時代的なものとして飛び込んでくる。これはまったく得がたいものなのではないだろうか。町田の天才があって初めて可能になったもののように思う。
 すごいなあ・・・。
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by kotoba1e | 2009-10-09 01:16 | もろもろ感想

銀の連休記(2)

■9月21日(月)
 宿で朝食を取り、食堂の本を見ていると、「図説佐渡」という立派な本があった。なかなか自然史から民俗までなかなか充実した内容である。みれば「佐渡博物館」というところが出している。予定を変更して、佐渡博物館に行ってみることにする。

 バスに佐和田方面のバスに乗ると、どうやら佐和田の先の真野にある、「佐渡歴史伝説館」なるところに行くらしい。まあ時間もあることだし寄って見ようか、ということになり、そのまま行ってしまう。
 歴史伝説館は、リアルな人形が芝居をするところであった。順徳院、日蓮、世阿弥といった、流されてきた人々の物語である。劇化される以前に、どこにどう伝わってきた話なのかがよく分からなかったのが残念であった。
 お土産売り場で、ジェンキンスさんが黙々と働いておられた。

 伝説館から出て、真野の浜へ。澄み渡った水を見て、思わず裸足になって海に入る。何の卵だろうか。透明な滴のような形のものが、明るい底の砂に散在していた。透明なサイコロに4本の脚をつけたような水母に脚を刺された。この時点で昼前くらい。
 満足して通りにもどると、佐和田方面のバスが行ってしまったところであった。どうやらもう2〜3時間は来ない様子。それなりの日差しの下、覚悟して4キロ強の道のりを歩くことにする。
 真野は、造り酒屋が多いところで、「アルコール共和国」をキャッチフレーズに町おこしをしているようであった。アルコール、というケミカルな言葉は、いい地酒には似つかわしくない気もするが・・・。そんな造り酒屋の前を何軒も通ったが、何か急かされる思いがあって、寄らずに歩きつづけた。

 1時過ぎくらいだっただろうか。なんとか「佐渡博物館」に到着。裏の松林の中のホテルで、昼食を取った。博物館の展示はそれなりものではあったが、ワークショップ等の企画があるでもなく、学芸員さんの存在感はあまり伝わって来なかった。書籍売り場には、昔の紀要があったが、最近は途絶えているような感じであった。中庭には移築民家と岩石園があるのだが、民家に入ってみるとくまなく蜘蛛の巣が張り巡らされていて、なにか世の儚さに涙を注ぐような気分になってしまうのであった。
 先の「図説佐渡」も、もう売られてはいなかった。好事家の間で高値で取引されるのみなのだという。そう教えてくれたのは、受付の目の細い女性であった。その人の存在そのものが、なんだか能楽的である。ツレである私たちの前で、亡魂の化身となって踊り出すのではないかと思われた、というのは冗談だけれど、能の盛んなこの島のこと。そういう連想もありであろう。

 この時の企画展では、かつての金山の賑わいを知ることができた。2時半くらいにはここを出て、西三川ゴールドパークへ。
 ちょうどやってきたバスに揺られ、西三川に向かう。対岸の大佐渡の輪郭が、海に照り映えてまぶしく見える。海岸の明るい道を行きながら、屋久島を一周したときのことを思いだしていた。島共通の、ある風景の経験というものがあるように思われた。
 バスが海岸を離れ、田んぼに沿った道を走っていたときのことである。運転手さんが、「左手にトキがおります」というようなことを言う。突然だったのでなんのことかわからなかった。何かトキ関係の施設があるのかと思ったが、そういうものがあるわけでもないようだ。何だろうと思って窓から里山を背景にした田の風景を見ていると、なんとそこに白い鳥の姿が! ほぼちょうど1年前に放鳥された2羽のトキが、その田で虫をついばんでいたのである。一瞬のことだった。あっというまにトキのすがたは後方に流れ去ってしまったが、これは奇跡的な確率の出会いだったのではないだろうか。子どもたちもバスの中ではねるように狂喜していた。

 西三川ゴールドパークは、川砂利を集めて、観光客にその中から砂金を探させるというゲームというかイベントというか、そういうのを始終やっているようであった。みょうな「ひっかかり」のある洗面器のようなものを渡され、それで目の前の水の中の砂をすくっては洗い、すくっては洗いしているうちに、砂金が見つかるようになる。最初はなかなか出て来ないのだけれど、コツをつかむと面白いように砂金がみつかる。とはいえ、洗面器まるまる一杯から、ほんとに1mm角の薄片が出れば上等といった感じだけれど。
 最近は何事につけても息子に抜かれ、うだつの上がらない親父であった私だが、この砂金探しにおいては、家族たちに圧倒的な差をつけた。あまり尊敬してはもらえないが、山師的なセンスは、たぶん君たちより優れていると思うぜ。

 金銀財宝を得て、予約してある小木の民宿へ向かう。バスから降りた小木は、海辺のニュータウンといった感じの町で、少々面食らった。規則正しく区画され、なおかつ空地の目立つこの町は、いきなり連れて来られて、兵庫県の山奥なんだぜと耳元でささやかれたら、そのまま信じてしまいそうなところであった。よくわからない公園には、この町の工事を行ったと思しき、建設会社社長N村某氏の胸像が建っていて、なんだか唖然とした。島の近代をいきなり見せつけれた気がした。大きなスーパーマーケットがあった。そこで地酒を1合買って、みんなが買い物をしている間に飲み干した。

 宿「のと」は、玄関に入るなり、巨大な洗濯物の山にでくわした。それをくぐり抜けて廊下に出ると、シベリアの虎をやや小振りにしたような動物が、鼠を弄んでいた。息も絶え絶えになっている鼠の子も、それをたたいたり齧ったりして遊んでいる食肉目の動物も、どちらもひどく器量よしで可愛らしく、子どもたちは大いに混乱したようであった。
 この美猫の名を宿の旦那に聞けば、「ええ?うーん。『ちびくろ』」だという。大柄で白味の勝った美しい毛並みを見ていると、どうしてそういう名前になるのか、全然わからない。
 この日も地酒を買いそびれた。宿のうんちくささと、それだけが、悔やまれる点であった。
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by kotoba1e | 2009-10-05 23:26 | まち・地域・場所