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休肝日

■1月30日(金)
 昨日は酒を飲まなかった。気がかりな仕事が残っていたからなのだが、それは結局手を着けずじまいになった。
 朝目が覚めたら、やたらと調子がよい。布団をあげたりそれなりにてきぱき働いてしまった。これは昨晩の酒を抜いたせいなのだろうか。
 そういう訳で、今日も飲まずに寝てみようと思う。それが効いたら、少し飲酒癖についてもう一度考えてみようと思う。
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by kotoba1e | 2009-01-30 23:37 | 日々のあれこれ

暖かかった一日

■1月29日(木)
 卒業制作審査会の3日目。今日も建築部門によい作品が多かった。わが造園勢は課題が多く見えてきたというところか。教育上の目標を改めて練り直すチャンスなのだろう。
 例年に比べて疲れなかったような気がしていたが、終わったらやっぱりぐったりした。帰るとカルガモネンドの新譜「ラストダンス」が届いていた。ライブのラストでやっていた「光る街」が入っている。ねっとりとした叙情。

ただ生きとる そんな男を
午後の三時に家を出たのさ

泪の訳さえ知らないが
どうにかなるさと風に聞いた
光る街と 唄う俺と
同じように夕陽よ 照らしとくれ

お前も連れていくぜ
光る街と 唄う俺と
同じように夕陽よ 染めておくれ


 ムロの書く詩には、いつも空とそこにある太陽がある。この歌にも夕陽があって、街は光っているのだった。

 そういえば今日も夕陽を見なかった。職場は東山連峰の山上にあるので、盆地の西を遠く望む景色は素晴らしいのだが。
 明日は松の木の下で夕陽を見たい。見ながら倍音を出すのだ。
 (と思ったら明日は雨らしい・・・)
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by kotoba1e | 2009-01-29 23:02 | 日々のあれこれ

宇宙人北白川に現わる!

■1月28日(水)
 今日も朝から卒業制作の審査会である。9時から17過ぎまでずっと、学生のプレゼンテーションに耳を傾け、模型とパネルに目を凝らす。
 今年は建築部門に良い作品が多くて圧倒される。我らが地域デザイン、ランドスケープデザインはやや苦戦だが、山下賢太くんをはじめ、迫力あるいい作品もあり、満足。
 今日の部が終わり、研究室に引き上げるとほんださとるさんより電話。「今日宇宙人おーちゃんが京都に来てるらしいですよ」。聞けば大学の近所、「Village」が会場。歩いて5分のところである。一も二もなく参上した。僕が初めて宇宙人おーちゃんの演奏を聴いたのは、一昨年の4月だったか、尾引浩志さんとのデュオを下鴨でであった。その後尾引さんの演奏は何度も聴くことがあったが、宇宙人おーちゃんの演奏はそれから初めてであったから新鮮であった。電話をもらって会場に着いたのはものの10分後くらい。ほんださんが待っていてくれた。
 おーちゃんはめちゃめちゃフレンドリーな方だった。演奏に併せてぼくもカルグラとかいろいろやってしまった。フロアで踊っているお姉さんはかわいかったな。
 おーちゃんの演奏が終わってからほんださんとぶらぶら。結局昨日もいった「ぐるぐるかふぇ」へ。イワシの薫製がやっぱり美味しい。
 家に帰ってPCを開くと、雨傘さんの「雨傘芸術日記」で亀岡の風景についての記事を見つけた。春の亀岡盆地はきっと美しいのだろう。行ってみたくなった。
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by kotoba1e | 2009-01-28 23:14 | 喉歌入門記

恥ずかしがり屋の動物

■1月26日(月)
 職場への道すがら、コンビニでしばし立ち読みして歩道に出ると、長身の男が駆る自転車が通り過ぎていった。普通と違うのは、その自転車とともにホーミーの声も同時に通っていったこと。ここにもいたのか。思わず追いかけたが追いつくことかなわず。でもまたきっと会うことがあるだろう。少しうれしいひとときであった。
 職場について、「恥獣」こと山猫先生の研究室に伺う。渡されたのは、松本圭二「あるゴダール伝」(すばる2008年4月号)のコピー。持って帰って読んだらめっぽう面白い。気取ったタイトルだなと最初は思ったのだが、ゴダールというのは大学時代のどうしようもない先輩権田類氏のあだ名であることが明かされる。バブル期の屈託ある側の青春の記であるが、これがおもしろうてやがて悲しいという風情のものであった。この人の詩集「アストロノーツ」も良かったが、そのやけくそ感はそのままに、誰もが笑ってしみじみできるものになっていた。しかし権田さんも文子さんも、個人的に見覚えがある感じがしてしかたない。

■1月27日(火)
 卒業制作審査会の初日。朝9時から夕方5時まで作品を見っぱなし。終わったときはそうでもなかったのだが、その後レポートの添削をひとつこなしたら脳が痺れた。
 その後気がつくと、山猫先生と近所の飲み屋「ぐるぐるかふぇ」にいた。山猫先生は言葉少なだった。飲み物の他は、トンミミ、イワシのピリ辛薫製、インド風鳥の炒め物、手羽先、胡麻豆腐、といったところだろうか。どれも美味しく頂戴した。
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by kotoba1e | 2009-01-27 23:27 | 日々のあれこれ

鳥と土

■1月24日(土)
 積もり積もった作業を進めようとして、そのお金の分担等でとんでもないミスをしていたことに気付く。朝からぐったり自分にがっかりという感じである。その他にもいろいろあっていろんなことがが恥ずかしくなってきた。立ち上がったらなんだかふらふらする。書類を作っているといつのまにやら頭の中に霧がかかったようになった。
 気がつくと、ライブハウス「磔磔(たくたく)」の前である。途中のことはあまり思いだせないが、ここまで来たら入るしかないだろうと思い、ドアを開ける。外からみたら創造できないくらいの人がゆらゆらしていてびっくりした。今日はカルガモネンドというバンドのワンマンショーであるという。とりあえず焼酎のお湯割りを1杯流し込んで身体を温めた。
 トリオの登場は爆笑をもって迎えられたが、演奏が始まってしまうとこれはなかなか恰好が良い。ロックバンドがもっともよく響き合うのは、このトリオという編成であるに違いない。それにしてもギタボのムロ氏の声の強さとギターのアクの強さは凄いものだ。おもしろさが前面に出てしまうが、それを支えるリズム隊もかなりの腕前である。宣伝文句のとおり、昭和歌謡のテイストをたたえた、サイケでロックンロールな音楽であった。ロックとしては結構マニアックな辺りで鳴らしているにも関わらず、日本人に懐かしく思える楽曲群というのは、これまでなかったのではないか。Jポップ的日本性とはまったく別のものである。店に入ったときは、恐いお客さんが多いように思ったのだが、よく見ると年配のお客も多い。舞台袖で揺れている一団は熟年をとうに通り越したような人々であった。年代を超えて愛されるバンドということなのだろうか。恰好いいだけではなくて、随所で笑えるというのも関西のバンドらしいところなのかもしれない。もともと、恰好いいR&Rというのは、常にユーモアと一緒にあるものなのだけれど。
 オリジナル曲もいいのだが、「恋の奴隷」「Hold on, I'm comming」などのカバーも絶品。ムロ氏のことは8、9年前から知っているがやっていることが一貫しているのが素晴らしい。学園祭のステージでも異彩を放っていたが、確実に進化している。今度の新譜リリースでもしかしてブレークするかも。京都のタワレコでは大々的にコーナーが設けられているらしい。
 終演後は音楽の働きもあってか、かなり陽気になっていた。そのテンションでムロ氏と歓談。カルガモの前のミニアルバム「ハイカラミラーボール」も購入。CDを売っていた女の子が物凄くかわいかった。近況報告代わりに当方の「Uryuyama Overtone Ensemble」のCD-Rを渡したりした。この高尚なアンサンブルを支えてくれているN嬢とA君は、Baffa Marariaというバンドのメンバーでもあるのだが、ムロ氏も知っているとのことだった。よく判らないがなんだかうれしい。テーブルに残った誰のかよく判らないビールなども「モッタイナイ」の精神で片付けていくうちに、気分はどんどん変な方に伸び上がっていくのであった。
 「磔磔」を辞去すると、京都の寒の夜中はどうしていいか判らないほど寒かった。酔いはだんだん肌から身体の芯へと追いつめられていくようだった。

■1月26日(日)
 今朝の帰りは遅かったのに、5時台に目が覚めてしまう。歳をとったということなのだろうか。渾身の力を振り絞ってパソコンを開いて、すすめていた仕事をいくつか断念する(断念の仕事をしたのである)。悲しいが少しすっきりする。
 こどもから、昨日の中学校の説明会について報告を受ける。お父さんはこんなだが、子どもは立派に育っているんだな。
 長男は今の流行音楽が全然苦手な方で、クラシックか70年代歌謡くらいしか判らないのだが、「カルガモネンド」の「ハイカラミラーボール」をかけたらいたく気に入っていたようだった。今度ライブに連れて行ってやろう。
 午後からは修士論文の口頭試問。芸術を学ぶ人たちの、それぞれの問題意識に触れて、刺激を受けた。帰るとみんなもう寝ているので、台所の棚の奥の料理酒を飲んだら不味かった。以上。

カルガモネンド・オフィシャルサイト
http://www.karugamonendo.com/new_top.html
カルガモネンドのMySpace
http://www.myspace.com/karugamoboyakki

YouTubeにもいろいろあるようなので、検索してみて下さい。
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by kotoba1e | 2009-01-25 23:19 | 音楽のことなど

どたばた

■1月22日(木)
 朝起きてどうも胸騒ぎがするので、学会のホームページを確認。エントリー期限が迫っている作品集の送付資料が結構大仕事であることが判る。それと相当額のエントリー費用が要るらしい。しかも明日23日が入金締切。作品の資料写真も入手しなくてはならない。いきなり焦る。
 とにかく朝一番は学校へ。卒業制作の指導。進捗を確認する。なんとかなりそうな感じを得た。
 昼休みにすかさず郵便局へ行き入金。ひとまずほっとする。
 午後はランドスケープ2回生の作品合評。授業の出席率があまりよくなくて心配したが、よい作品も多かった。
 夜はまぜまぜ口琴部の新年会。Yugueがお休みということで、元田中の中華店「上海バンド」へ。ひとしきり飲んだあと、キョートット出版小川さんのお宅へ押し掛けて、結局家に帰り着いたのは2時半であった。酔っぱらうとクドくなるのは悪い癖。汗顔。反省。

■1月23日(金)
 なんとか起きて学校へ。朝一番で2回生実習室の大掃除である。頭を使う授業でなくて良かった。午後は3回生のまちづくり作品の完成度チェック。事務局から急に連絡が入って、テキストの校正を今日中に出せとのこと。山猫先生のアドバイスを受けて大急ぎで済まして学校を出る。
 白河の学校へ行って写真をいただき、帰ってからは修士論文の閲読するもはかどらず。子どもの入学書類の作成に追われる。明日は学会提出用の書類をまとめて、レポートの添削も少しは進めておかないといけない。シラバスの校正や天若湖アートプロジェクト本の作業もある。他にもあった気がするが、思いださない方が良いのだろう。
 来週は「早朝から夜まで」×3の卒業制作審査会がある。これは極めてハードなもので、この間は他のことは何もできないのだが、その辺にいろんなものの締切が集中している。来週を生き抜けるかどうか心配。
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by kotoba1e | 2009-01-24 00:32 | 日々のあれこれ

このところ

■1月19日(月)
 朝一番で卒業制作の相談。みんな焦っているが、大丈夫。確実に進んでいるよ。
 それから子どもの進学関係で大阪の2ヶ所を回る。長男の試験は上首尾を得たようだ。
 彼のこの1年の頑張りは、その年頃の自分にはどうやってもできなかったものであるし、いまでもやはりできないものなので、どうしてそういうことができるように育ったのか不思議である。彼は頑張れば報われるということを、実感として得たのではないだろうか。これはきっと良いことなのだとおもう。「そうではない場合」への想像力を、どのようにして獲得するか。

■1月20日(火)
 職場のしんどい会議あと、トレードマーク京都にて、天若湖アートプロジェクトの本づくり会議。今回は4年前から続けて参加してくれている、京都市立芸大のグループが参加してくれた。編集部が考えてきたことを「伝える」ことで、やるべきことが一気に具体的に見えてくる。彼女たちの持ち分だけでなく、ひとりひとりがやるべきことも、反射光を受けて明らかになる。佳境に入ってきた感じだ。

■1月21日(水)
 院生の論文を3件チェック。しばし思い悩む。
 夕方からは、桂川流域ネットワークの例会。今夜のテーマは「大戸川ダムは何が問題なのか?」。住民は立ち退いたが、国土交通省もやらないといったりやるといったりして、方向の定まらないこのダムは、今や淀川水系流域委員会と国土交通省の対立のシンボルとなってしまっている。
 淀川水系流域委員会と国土交通省の衝突については、新聞でもよく報道されているところであるが、今後建設(または再開発)されるかもしれない(されないかもしれない)5ダムのなかで、大戸川ダムだけがなぜクローズアップされるのか、実は新聞記事だけではよくわからない。
 それから、新聞では2者の衝突という具合に報じられるが、事態はそんなに単純ではないこともよくわかった。このあたりはものすごくコクのある話なので、機会があれば改めて論じたいと思う。
 ここではひとこと。淀川水系流域委員会とその開設当時の国土交通省がやろうとしたことは、河川についての意思決定の民主化だった。その議論の過程は徹底的に透明化され、膨大な量の議事録が公開されている。皮肉なことに、要約されぬままに吐き出されるデータは、これはごく一部のマニア以外には眼を通せない、理解できないものになってしまった。河川に関心を持つ市民の誰もが、わかりやすい要約版を求めているのだが、メディアによる構図の単純化は、そうした要求にまったく応えていない。それは具体的な議論の血肉を削り落とし、劇画的な構図に書き換えてしまう。そして市民は単純な選択肢のなかでものを考えざるを得なくなる。NPOセクターにできることは何かを考えてしまうひとときである。

 たとえば、人はいなくなったがダムはできていない大戸川ダム予定地に、真夜中忍び込んで、かつての家々の灯りを灯したら、それはどういうメッセージになるのだろうか。即物的には日吉ダムで行われているのとまったく同じ行為が、まったく別の読まれ方をすることにだろう(おそらく、ゲリラ的な異議申し立てとして受け止められるだろう)・・・。

 よく話題になる大戸川ダムだが、その場所情報等は意外といっていいくらい知られていない。ダム堤体の長さは330メートルを、高さは90メートルを超えるというから、相当なものである。そして最大貯水容量は日吉ダムのちょうど半分の33,000千立米。これが山奥ではなく、川が山間から平野に出ようとするところに作られるのだから、びっくりである。

 ここに、どんな風景があるのか、知りたいとおもう。
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by kotoba1e | 2009-01-22 01:05 | 日々のあれこれ

忘却

■1月17日(土)
 子どもの試験があるというので、5時半に起きてもぞもぞと準備。まだ薄暗い頃に車を出して、四条の駅まで送った。
 家についてテレビを点けると、阪神淡路大震災14年の番組をやっていた。1月17日午前5時46分。その暗さ寒さを今朝、経験したはずなのに、この地震のこと、このテレビを見るまで、まったく思いださなかったのはどういうことだろう。

 14年前のその日、僕は神戸大学脇の斜面に建っていた、当時勤めていた会社の独身寮にいたのだった。まったく経験したことのない揺れに眼を開けてみると、天井の梁が、というか部屋中が、ふしぎな曲線を脈打たせて動いているのが見えた。驚いて上半身を起こして、すぐ横にあったスチール本棚を力一杯押さえているうちに揺れは収まった。少しほっとして一旦横になろうとしたが、それはできない相談だった。ついいままで横になってところには、押さえられなかった本棚が3つ、きれいに倒れ込んできていたのだった。もう少し起き上がるのが遅かったら、と思うとぞっとした。
 寮の食堂に行ってみると、寮生たちが集まっていた。電気がダメでテレビも点かないというので、カーラジオを聞いてみよう、ついでにジュースを買って来ようということになり、僕が係りにさせられた。
 車のラジオは、大阪のお年寄りが転んだとか、そういう呑気なニュースを伝えていた。たいしたことなかったのかな、と思っていたのだが、阪急やJRの線路の当たりまで下りたころには、見たことのない風景にただただ驚いていた。
 燃え上がる家、厳寒の未明の道を、ふとんをかぶって逃げ惑う人々。崩れて国道に「流れ出して」しまったビル。一刀両断、といった切り口を見せて横たわっていた、巨大な鉄製の道路照明柱。自動販売機はみな死んでおり、ジュースを買うという任務は結局果たせなかったように思う。
 六甲台まで戻ると、寮には電気が戻っていて、横倒しになった高速道路のニュースが入ってきていた。高台の寮からは、下町のところどころに火の手が上がっているのが見えていた。それから異動で奈良の社宅に移るまで、被災地の瓦礫を踏む生活が数ヶ月続いた。

 経験したことのない強烈な地震と、その後の暮らしだったはずだった。しかしその経験は、たかだか14年で相当に風化してしまった。神戸に住みつづけていたら、また違ったのかもしれない。奈良、京都と居を移し、その街を遠く離れたということが、出来事の記憶も遠いものにしているのかもしれない。
 テレビの中で涙を流している人々の姿を見て、地震のことを忘れていた自分を、少し恥ずかしく思ったが、それはいけないことなのか、少しわからない気もした。その記憶を留めるということに、どういう意味があるのかも、実は丁寧に考えたことがなかったようにも思った。

 街が無くなること、遠くへ移ること、時間が経っていくこと。こういうことは、こうした大地震でなくても起きることだ。たとえばダムの建設などで。
 僕たちは「場所の記憶」というようなことを、割と簡単に口にする。でも記憶というものはそんなに確固たるあり方をしている訳ではなく、忘却と複雑で動的な錯合をなしているように思う。忘れることそのものが、記憶の重要なある部分を占めているような気がするというか。
 「場所の記憶」。覚えているのは誰なのだろうか。忘れるのは、忘れられるのは誰なのだろうか。
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by kotoba1e | 2009-01-17 23:06 | 日々のあれこれ

たけやぶやけた 同窓

■1月14日(水)
 午前は学生のツルタくんと、大原の竹伐りの手伝いに。前日の雪もあって、国道はばんばんに凍っていて少々恐かった。誰も手を入れなくなっていた竹林の中から大量の枯れ竹が引っ張り出される。青々とした元気な竹もつぎつぎに切り倒され、次々に火中に投入される。雪のついた竹を掴み投げる手は急速に凍え、燃え上がる炎の前で顔は焼けるように熱い。真っ白なあぜ道でドカジャンのジッパーを緩めたら、胸元から湯気がたちのぼった。
 これまで高野川沿いの風景を作ってきた竹林が、炎を上げながらみるみる消えて行くのは、さびしい気もした。時折眺めにくる人の中には、そういう気持ちの人も多かったのではないか。春になれば筍が出て、あっという間に伸び上がるはずだ。その時どんな風景ができあがるかを待ちたいと思う。この親水河川づくりについては、地元内にもいろいろな思惑があるようだ。どのように関わっていけるのか、よく考えなくてはならないと思った。

 午後は大学で一件会議。疲労困憊していたので、何をどうしゃべったかよくわからない。山猫先生すいませんでした。

 夕方。大学の同期K君と新年会。昨年末、近所のスーパーで偶然再会をしたのだった。前にあったのは20年以上前の東京の大学でのことであるから、家から5分のスーパーで会ったというのも相当な偶然であるが、本人と判って声をかけられたというのも、たまたまというほかない。話を聞けば、こちらの大学の研究所で再生医療の基礎研究にあたっているという。立派な科学者である。住んでいるのも近所のようだ。昨年はばたばたしていてなかなかそういう時間が作れなかったのだが、今回新年会ということで、まとまった時間をとって旧交を温めることとなったのだった。
 K君とは大学1〜2年の頃、同じクラスだった。大学後半の専門時代については、まだいろいろ覚えているのだが、前半の教養課程のころについては、おぼろげな記憶しかなかった。だが忘れていたという訳ではないようで、話をしているうちに、いろんな名前と顔が蘇ってきた。同時に当時の自分自身の姿が、彼らの影の間に見えてきた。バブルの頃の浮ついた風景と、その中での屈託などが、懐かしくも恥ずかしく思い出された。
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by kotoba1e | 2009-01-15 06:40 | 日々のあれこれ

天稚彦伝説


湖面に再現された世木林集落の灯り 写真:石田知紀

 携わっている天若湖アートプロジェクトについての本を、現在企画中である。
 天若地域の歴史と姿について、僕が書くことになったので、いろいろ調べている。
 「天若」という地名を見て、ピンとくる方もいると思うが、ダム湖に水没したこの地域には、天若日子(天稚彦とも。アメノワカヒコ)を祭る天稚神社があった。
 アメノワカヒコは、古事記にも名前の見える神さまで、地上を平らげるべく天から遣わされておきながら、オオクニヌシの娘シタテルヒメと懇ろになってしまい、しまいには天に謀反を企むようになって射殺されてしまう。何だか悲劇的な反逆者というイメージをこれまで持っていたのだが、少し調べると、恋に溺れて本来の任務を忘れたりするところが結構人気の元だったりするらしく、室町時代には彼を主人公としたおとぎ話も出てきたようだ。
 御伽草子の中では、異界からやってきて、美しい娘と懇ろになるが・・・という骨格は保存しながら、七夕起源譚に変形されている。

 海を支配する青龍王の息子として蛇に化身して現れ、長者の娘と契るが、欲深な姉たちによって禁じられた唐櫃が開けられてしまったことで、天から帰れなくなる。娘は“西の京の女”から、「一夜杓」というのを借り、ジャックとマメの樹ばりに「ひさご」を成長させて天に至り、アメノワカヒコに再会する。その間、あまり親切でない星たちとややぶっきらぼうなやりとりがあったりするが、この辺では「荒川アンダーザブリッジ」の星野郎を思いだしたりした。このあとアメノワカヒコの父が鬼で、娘に無理難題を出すが・・・というエピソードをはさみ、結局彼らは年に一度しか逢えなくなってしまう。ここに織姫と彦星とその行き来を阻む天の川とが生まれる、という筋である。

 我が丹波日吉の天稚神社は、光となって飛来した天若日子の啓示を受けて創建されたという。一夜に杉の大木を3本生じさせるという奇跡があり、そこから「世木(せぎ)」という地名が生まれたという逸話が残されている(どうしてそうなるのかよくわからないが)。今「ひよし昔ばなし」等の文献から知ることができる天稚神社の由来には、あまり色っぽいところはないが、天からの到来、星との関わりは暗に感じさせるものだ。
 毎夏、天若湖アートプロジェクト「あかりがつなぐ記憶」の現場では、湖面に据えられた旧集落の家々の灯りの上に、満点の星空が広がる。かつてはもっと多くの星が鮮明に見えたことだろう。
 天稚神社をその真ん中にもっていた世木林の村は、急峻な宇津峡を抜けて、ふと空が広がる穏やかな平地だった。今は湖底になっているその地からの夜空の眺めを想像してみたくなる。その広く深い夜空は、数百年にわたって、天若の人々が見上げてきたものだ。そしてその夜空の見え方にはどこか、天稚彦伝説の反映があっただろう。
 「あかりがつなぐ記憶」は、上下流の人のこころをつなぐものとして企画されたものだった。けれど、この作品が語りかけてくるのは、そうした今日的なテーマだけではない。黒い空と黒い山と黒い湖面を背に、空と地上の星が鮮明に浮かび上がる風景は、むしろ、悠久の時間を感じさせるものだ。
 湖面に水没した村の灯りを据えていくというこの行いは、結果的に、星界からやってきて天と地をつないだ天稚彦ゆかりの地の旧い記憶を、風景の上に顕わすことになったのかもしれない。
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by kotoba1e | 2009-01-08 10:31 | まち・地域・場所