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出演情報

来たる11月3日(月:文化の日)、京都市左京区は蹴上にある京都市国際交流会館で開催されるイベント「国際交流会館オープンデイ」に、「瓜生山オーバートーン・アンサンブル」として出演します。

多彩なプログラムの一つに、屋外の円形ステージでのライブがあるのですが、そこににとっかえひっかえ登場するアマチュア楽団の一つとして演奏させていただくことになりました。

円形ステージの公演時間は、11:00〜16:00。われわれ「瓜生山オーバートーン・アンサンブル」は、14:30〜15:00の間、ステージに立ちます。是非お越し下さい。

たぶんこんな感じの演奏になります。
10月28日リハーサル音源
オープニング
口琴トリオその1
口琴トリオその2
エンディング

瓜生山オーバートーン・アンサンブル
 荒川浩介(口琴、ボイス、ジェンベ)
 下村泰史(口琴、ホーメイ、三線)
 中塚智子(口琴、ライア、ドラムス)
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by kotoba1e | 2008-10-29 09:29 | 喉歌入門記

ヤマザキヤマト&尾引浩志 ライブ

 昨日27日は、御所のちょい南にあるライブハウス「ネガポジ(陰陽)」へ。ほんださとるさんのブログで、尾引さんが京都に来るということを知って急遽でかけたのであった。
 行ってみるといつもどうも4つのバンドが出るらしく、その3つめということだった。前回京都に来られた時と同様、パーカッショニストで歌手のヤマザキヤマトさんとのデュオ。シンプルで深い歌とアンサンブルだった。いつもより時間的には短かったけれど、2人とは思えない魔術的な音楽を味わった。満足。当たり前だけれど、こういうのを聴くと、自分自身の音楽がまだまだであることをやはり痛感する。自由でありながら整っているというのはどういうことなのだろうか、などと考えたりした。とにかく3日に向けてがんばるぞー。
 2つめのステージをつとめた、よしださ木さんもよかった。一音一音確かめるように爪弾かれるギターと、目をつむって祈るように歌われる歌に気持ちを引き込まれた。曲間の乾杯の時間、よしださんから乾杯の音頭の指名を受けた僕は、どういうわけかクロダさんということになってしまったが、確かにその時は自分がクロダさんだったような気もする。

 ほんださんのライブレポートもご覧下さい。
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by kotoba1e | 2008-10-29 00:02 | 喉歌入門記

日本造園学会関西支部大会

 造園学会という学会があるというのは、普通の人の想像力の外側にあることであろう。
あろうことか私はその会員なのである。関西支部の幹事でもあるのである。
これは、世の中一般とは直接関係はないけれど、庭園だとか公園だとかに関わっている人たちが集まるところなので、ここでの議論というのは遠い遠い迂回路を経て、街の風景や雰囲気に関わっていくかもしれないようなものごとなのではある。
 もしかしたら、ショッカー総会の議決事項というのも、このくらい回りくどいものなのかもしれない。

 今回参加した主目的は、天若湖アートプロジェクトについて発表するというのと、新しく立ち上げた「ランドスケープと自由」という研究会の宣伝が主な目的である。
 両方ともある程度の感じでなんとかうまくできたような気がする(なんとあいまいな日本語!)
 一段落は一段落。 
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by kotoba1e | 2008-10-28 01:00 | まち・地域・場所

第1回国際口琴フェスティバル in 東京「月」

 ちょっと前のことになるが、12日、子ども2人を連れて渋谷で開催された「第1回国際口琴フェスティバル in 東京 『月』」に行ってきた。翌日の用事もあったので、日帰りの強行軍である。となると帰りの電車の時間もあるから、夜もあまりゆっくりできない。つまりほんのちょっと覗いてきただけである。だから感想だとかレポートだとかと言ったものはとてもではないが書けない。
 でもライブの演奏というのは、ちょっと見ただけでもものすごく勉強になるものだ。倍音ケイイチさんの演奏を実見して、往復打撃とミュートの組み合わせ技が少し見えてきた気がした。
 子どもたちが楽しみにしていたのは、アイヌの人たちによるムックリ演奏である。特に上の子(小6)はどうしたわけかアイヌ文化マニアになっていてやたら詳しい。夏休みの自由研究もムックリの自作であった。夏には長根あきさんに直接手ほどきを受けたりして、あの鳴らしにくい楽器をそこそこ鳴らせるようになっている。有名な弟子(てし)シギ子さんの演奏や、長根さんの演奏も聴くことができて、大満足だったようだ。
 下の子(小4)は、貯めたお小遣いでネパール口琴を買ってご満悦である。これはなかなか触らせてもらえない。
 この日聴くことができたのは、
・倍音ケイイチ
・オルゲンぬまのグループ
・竹原シャルマ & 久野 隆昭
・カリマン & 石阪由美子
・長根あき
・幕内純平
・アイヌ民族ムックリ奏者のみなさん
(弟子シギ子、山本栄子、床みどり、床絵美、郷右近富貴子、今井ノリ子、今井とわ、今井あい、丸子美記子、鈴木紀美代、諏訪良光)

といった人たちの演奏であった。
 これは全体のほんの一部なのだけれど、それぞれ持ち味の違った演奏で、口琴という楽器の表現の幅を思い知らされた思いがした。口琴というととぼけた味わいという印象があるが、竹原シャルマさんのインド口琴はタブラとの緊張感をたたえたアンサンブルで、鋭く厳しいものだった。カリマンさん石坂さんはキルギス音楽で、リラックスした雰囲気ながら技巧はすごいもの。こんなに離れた国に、ムックリとほとんど同形の竹口琴があることにも驚いた。幕内さんの、口琴ソロによるラヴェルの「ボレロ」には度肝を抜かれた。
 これらがほんのさわりなのだから、全体を通しで聴けなかったことは残念だ。だがこれだけでも十分ためになったので良しとする。
 当日はショップも出ていて、口琴数丁と、サハ共和国の口琴「ホムス」の教則ビデオDVDを購入した。このビデオもまた素晴らしいものであった。映像もためになるが、直川礼緒(ただかわれお)さん執筆によるブックレットは極めて貴重なものだと思う。ハレダイスケさんのテキストとともに、極めて少ない口琴奏法書である。
 帰ってきてから一週間、子どもと僕はずっと口琴漬けである。京都に帰ってから買った直川礼緒著「口琴のひびく世界」(日本口琴協会)も、素晴らしい本だった。文章もとても良いが、付属のCDがまた凄い。世界中の口琴の音を知ることができる。この単純な(しかし精妙な)楽器の世界の広さ深さが伝わってくる。
 それにしても、その昔最初聴いた時には「びよーん」としか聴こえなかった音が、今は複雑に聞き分けられるようになったのは進歩なのだろう。知れば知るほど細部が聴こえるようになってきて、謎も増えてくる。不思議な楽器である。
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by kotoba1e | 2008-10-22 23:43 | 喉歌入門記

白河エデュトープでの演奏

 18日、白河総合支援学校のエデュトープ竣工式の後に行われた「地域感謝祭」で口琴とホーメイを披露させていただいた。自分で用意したサウンドシステムと演奏の相性があまりよくなく、どうも納得できない演奏となったが、後で録音データを聴くと、それなりの演奏にはなっているようだった。
 自分の口琴演奏を客観的に聴いていると、ハイテクニック、高速度、安定した大音量を指向するものになってきていることがわかる。なんだか速弾きに憧れる中学生ギタリストのような演奏になっているような気がして恥ずかしい。

 その場の風景や空気と呼応しながら、微かなスペクトルの粒子立ち上らせるようなところに口琴の美味しさがあるとしたら、そこからはだいぶ外れた演奏になってしまっている。風景の中で心を澄ませて口琴を弾くという時間の大切さを、改めて感じる。

 

ベトナム口琴による即興
ゾルタン口琴「カーン」による即興
真鍮口琴による即興
DS-10によるドローンとホーメイ
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by kotoba1e | 2008-10-19 07:46 | 喉歌入門記

白河エデュトープ竣工式

 2年ほど前から関わってきた、白河総合支援学校のプールのコンバージョン、エデュトーププロジェクトの第1期工事の竣工式があった。
 これはひびが入ったりして使えなくなってしまったプールを、地域の人々と生徒達の交流の場として再生するという計画で、京都大学の木山先生、I + Designの石田さんを中心に、企画を進めてきたものだ。この夏生徒たちの参加で直接施工で工事をして、本日めでたく竣工式を迎えたのであった。私はエデュトープの企画であれこれ思いつきを喋ってきたという立場であったが、それでもこうして当初のアイディア通りの空間が、みんなの手で実現されたのを見ると、感慨はひとしおである。
 この場は、なによりも生徒のみんなの表現の場であってほしいと思う。この場所は、汗を流した生徒たちの「作品」なのである。彼らがそこに関わり続けるうちに、いろいろな人たちを巻き込んでいく場所に育っていったらいいなと思う。

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全景


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プールの姿をとどめながら気持ちのいい芝生が生まれた

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by kotoba1e | 2008-10-19 00:03 | まち・地域・場所

美しい亀岡盆地

 小雪舞う夕暮れの亀岡盆地に保津峡を抜けて滑り込んで、その空の美しさに驚いたことがあった。そのことは「盆地の黄金」という記事に書いたが、どうやらこの盆地の、特に空の美しさというのは、僕だけが感じているものでもないらしい。亀岡のミュージアムに勤めるさとうさんのブログに、亀岡盆地の夕景の美しさを讃える記事を見つけて、やはりそうなのか、と思った。これは詩的な何かであり、名づけなければならない、という下りに目がひきつけられた。新しい叙景詩が生まれそうになっているのだと思った。
 そういう訳で、さとうさんと一緒に亀岡の夕景を見に行くことにした。風景と交感する小道具として口琴を携えて。この9日のことである。
 なんとか日没前に亀岡駅にたどり着いて、曽我谷川と保津川の合流点の当たりまで歩いた。護岸に腰をおろし、街の向うの山際の色が変わっていくのを見ながら、口琴を弾き、お酒をいただく。美しく作られた訳ではないビル群が、シルエットになった山並みに収まるようにしてぼうっと光っている。足下の黒々とした茂みから水音が聞こえ、その向うの田んぼからだろうか、虫の声が幾重にも重なって聴こえてくる。水音の中には、アユモドキが水を切る音も入っていたのかもしれない。そんないくつもの音に耳を澄ましながら、口琴を弾いているうちに、陽はとっぷりと暮れてしまった。
 サハ共和国の人々にとって、口琴の音色は春の歓びの音なのだそうだ。厳しい冬が終わって渡ってくるさまざまな鳥たちの声や、雪どけの滴の音などを表現するのだという。
 日本はまた自然の条件が違うけれど、自然の音と響きあうという点では、やはり口琴の素晴らしさが生きるようだ。人間が後から手に入れた「はおと」のようなもの。そういえば、辻征夫さんの詩に、耳の後ろに虫の羽音のような天使の声のようなものがやってくるのがあったっけ。その詩は別に口琴をうたったものではなかったけれど、口琴にはそういう「やってくる感」がある。口琴の音は風景の向こう側のなにか彼岸的なものの息吹を伝えてくれるような気がした。それにしても途中でひっぱり出したNintendoDSの電子音の似つかわしくなかったこと! あの時の恥ずかしい気持ちはなんだったのだろう。
 真っ暗になって手元がおぼつかなくなってからは、城址の堀を活かした街の真ん中の南郷公園で口琴会の続き。堀の水面から、ときどきとぷんと音がする。月の下、蓮に囲まれながら虫たちとやりとりしていると、なんだか昔の中国の詩人になったような気もしてくる。彼らも口琴を持っていたのだろうか。多分持っていたのだろうと思う。地酒と口琴の音色と風景にとろりと酔った良い晩だった。やっぱり亀岡盆地は美しかった。
 どういう訳か、途中でいろいろ知り合いに会った。「口琴をもって亀岡盆地をふらふらする会」という主旨は理解してもらえたのだろうか。土木事務所のAさんからは、盆地を縁取る山からの眺望の素晴らしさを教えていただいた。今度足を伸ばしてみようと思う。
 また明日にでも書くつもりだが、この数日後に東京渋谷の「国際口琴フェスティバル」を覗きにいった。これはもちろん素晴らしいものだったけれど、ラブホテル街のライブハウスでマイクを通過した口琴の音色を聴くのと、その時にしか現れない風光と虫たちの声の中で、ごくごく小さな輪で生の口琴の音を重ねて楽しむのとでは、やはり後者の方がずっと深い嬉しさがあるものだと思った。こういうローカルな楽しみ方が、ものすごく似合う楽器である。
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by kotoba1e | 2008-10-16 00:24 | 自然と景色

更新が滞っているが

 更新が滞っているけれど、何もない訳ではないのだ。
 亀岡盆地の夕景を見に口琴を持って行ったり、ギャラリースカボロの山本祐司展に行ったり、東京の国際口琴フェスティバルに行ったりと、いろいろ走りまわっているのだが、どれも丁寧に書きたい話で、酔っぱらっているとどうもいけない気がするのだ。
 飲まなければいいだけの話なのだが。

 それなりにいろんなことがあって励まされる日々である。
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by kotoba1e | 2008-10-14 22:23 | もろもろ感想

この2日

■10月10日(金)
 京都市立芸術大学の学生達た取り組んでいる「大枝アートプロジェクト」の一環として行われた「どぞばた上映会」に行ってきた。天若湖アートプロジェクト2008の記録映像と、同2007のなかで作られた映像作品「みずになったふるさと」が上映されるということで、実行委員長として参加してきたのだった。
 会場となった土蔵は、学生達や井上明彦先生の手で改装されたもので、いい感じ。活動の拠点となっているようだった。
 「みずになったふるさと」は何度見ても発見がある。田島先生による記録映像は、とてもユーモラスなものだった。
 「天若湖アートプロジェクト2008」に音楽部隊として参加したNさん(11月3日のライブにも「瓜生山オーバートーン・アンサンブル」メンバーとして参加予定)が同行してくれたので、天若地区での歌の発掘と演奏記録について話してもらい、ついでに口琴とライアーの合奏を披露してきた。もしかしたら、大原野の音楽会に出してもらえるかも?
 上映が終わった後も、地域の記憶を留めることと表現との関わりについて、話が尽きなかった。ここから学生同士の交流も生まれていったらいいと思う。


■11月11日(土)
 通学部の1回生たちの特別授業ということで、東山の近代日本庭園群の見学に行った。無鄰菴、何有荘、細川別邸といった植治の名庭をゆったりと味わう。それだけでも贅沢な話だが、日本庭園史の碩学、尼崎博正先生に同行させていただいたので、他では聴けないお話をたくさん伺うことができた。これらの庭園群が、明治期のインフラ整備や土地利用計画といった都市建設と密接に関わっていたことを知り、驚く。
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by kotoba1e | 2008-10-11 23:36 | 日々のあれこれ

ココルーム訪問

 去る10月2日(木)、NPO法人アート・プランまぜまぜの「秋サロン」で、大阪は西成に事務所を構えるアートNPO「こえとことばとこころの部屋(ココルーム)」を訪問した。こちらは3名、先方は主催者の上田假奈代さんと、常勤職員の平川隆啓さん。
 ココルームは「事務所」のはずだが、ただずまいは「バー」である。いろんな人が訪れる。ごはんを食べている人もいるし、酔っぱらっている人もいる。若い人が議論しているかと思えば、おっちゃんが踊っていたりする。混沌とした場所のパワーに圧倒される。そんななかでまず晩ご飯をいただいた。これはとてもおいしかった!
 それから卓袱台を囲んで上田さんのレクチャー。ココルームの歴史や運営の苦労などのお話をうかがった。
 上田さんがそう言ったわけではないけれど、僕なりに言い直せば、人々が生きることとそこから生まれる表現を尊重すること、人々の間に現れる芸術を信じること、といった点で、ココルームとまぜまぜは似ているのかも知れないと思った。そしてその共通点から、アプローチの違い、それぞれの個性が見えて来るような気がした。
 気がつくと上田さんそっちのけで、まぜまぜ代表のさとうさんと反省会的に話し込んでしまったりしていた。上田さんの聞き上手というのもあると思うが、それだけ考えるヒントをもらったということだと思う。
 そのあと、まぜまぜのこれからについていろいろ考えることができた。この訪問は、まぜまぜにとって転機となるものをもたらしたのかもしれないと思う。

 昨年行われたアートプロジェクト「こころのたねとして」の文庫本大の報告集が、ココルーム出版から出ている。場所とその記憶を巡って、上田さんをはじめとするアーティストやさまざまな分野の専門家が協働して作ったものだ。場所の記憶を掘り出して共有していくプロセスへの関心は、天若湖アートプロジェクトとも深く繋がるものだ。この本の冒頭の上田さんの文章は端正、明晰で素晴らしいものだ。
 今回の訪問では、上田さんの、社会に関わりながらことばで生きる詩人という、希有なあり方を見たようにも思う。表現する人が引っ張っているNPOならではの、ユニークさと説得力が確かにあった。
 若い人は、「詩で生きる」というと、すぐにポップスター的なあり方を想像してしまうようだが、それとは別の重要なモデルを提供しているようにも思った。ここに希望があるのかどうかは、わからない。が、わからないところに踏みとどまっているところに、表現とそれへの勇気があるのかもしれないとも思うのだった。
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by kotoba1e | 2008-10-07 00:28 | まち・地域・場所