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村の音楽会

 お客さんの前ではじめてホーメイをやった。音楽のライブというのは、朗読とはまた違った緊張感と開放感がある。
 今は右京区になっている旧京北町の某村の年忘れ歌合戦に、オープニング・アクトとして三人組で参加。あとの2組は村のバンドだ。一方の「SEIYA & YANON」は、絵本朗読と演奏を組み合わせた個性的なスタイルの2人組で、日本中で幅広く活動している。SEIYAさんの石笛がとても美しい。見せてもらったら、ちょっとくぼみのあるただの石にしか見えないもので、僕はどうやっても音を出すことができなかった。ものすごく不思議である。石よりも多分口の方が鳴っているのだと思う。口琴が「体鳴楽器」であるのと同じような感じだろうか。
 もう一方は、黒田バンド。老若男女が楽しめる、70年代歌謡から最近のアニメソングまでの幅広いレパートリーを持つ本格派。さすがトリだけあって、ご高齢の女性が大半を占めていた会場を、熱狂の渦に巻き込んだ。素晴らしかったです。
 地元の方が準備して下さったお弁当、焼き鳥、おでん、おぜんざいにビール酒もおいしかった。みんないい感じ。
 こういう音楽を通じた地域間交流に可能性を感じた。「倍音がつなぐ地域」なんてなんか素敵ではないか。意味は全然わからないけど。

 それでは我ら「瓜生山口琴合奏団」の演奏をお楽しみください。

2つの声と口琴による即興
3つの口琴による即興
Khoomei Islands
宇宙人ブルース
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by kotoba1e | 2007-12-28 23:00 | 喉歌入門記

藤井貞和講演・朗読会へ行く

 昨日22日は、衣笠の立命館まで藤井貞和氏の講演会・朗読会「詩と戦争」(主催:先端総合学術研究科公募研究会〈文学研究会〉)に行った。家の用事で遅れていったこともあり、講演会の話題には乗り遅れた感じ。配布物が充実していたので、それに目を通す方に気持ちが行ってしまったのもあったかもしれない。
 戦争の起源について、狩猟と短絡的に結びつけてはだめだ、そういう常識こそを疑うべきだ、ということを力説されていた。あと、詩が言語学によって語られないのは残念だという話しもされていた。藤井さんが研究者だということもあるのだと思うけれど、詩を書くということと、客観的な方法論を持つ事実学との架橋のようなものが求められているような気がした。それは最も困難な結合であるようにも、一方で思われた。
 朗読会は、なんだか可愛らしい感じ。行の跳躍は必ずしも呼吸の間ではなく、むしろころころと転がるように読まれた。これは氏の詩におけるある「すなおさ」ときれいに重なっているように思われた。
 会場では、「tab」でご一緒させていただいている石川和広さん、「言鳴」の窪ワタルさん、「紫陽花」の亰雜物さん、「歩き酒」のyamanekoさんらと一緒になった。
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by kotoba1e | 2007-12-23 23:14 | ことばと表現

三味線シンポジウムと広沢池

 昨日は、佛教大学アジア宗教文化研究所主催の、「音のシンポジウム〜三味線のルーツを探る」に行ってきた。このところ三線にはまっているが、この会にはホーメイの名手等々力政彦氏もドシュプルールを携えて参加、ということだったので迷わずに申し込んだ。
 ステージには、三味線と起源を共有すると思われる楽器が次々に登場して演奏された。トゥバのドシュプルール、チベットのダムニェン、トルコのサズ、ギリシャ/アイルランドのブズーキ、石垣島の三線などである。「3コースの弦」、「もともとは皮張り」、「長棹」といった特徴を共有するとはいえ、それぞれの楽器の異なる個性を明瞭に感じ取ることができた。
 アブドゥルラッハマン・ギュルベヤズさんのサズによるトルコ音楽は、ダンサブルでかつ夢幻的なものだった。7拍子はともかく11拍子というようなリズムは理解を超えている。そこにサズの金属弦の渋くきらめく音色が乗ると、もうこちらの意識は遠くへ飛んでしまう。赤澤淳さんのブズーキと、元々楽器同士が近縁ということもあるけれど、きれいに響きあっていた。
 等々力さんのソロコーナーもあって、口琴やイギル、ホーメイも披露された。どれも大変な腕前である。イギルのある意味不安定な音色を使いこなしていた。この楽器では、音が裏返って倍音に変化する瞬間というのをうまく使うのがキモのようである。先日の尾引浩志さんの演奏もそうだった。尺八のようなムラ音も多く入る。使いこなすことさえできれば、極めて表情豊かな楽器だと思った。
 尾引さんの演奏が意識を拡散させ、夢幻的なところへ誘うものだとしたら、等々力さんの演奏はむしろ聴き手の意識を集中させ覚醒させる性質のものだと思った。同じ技法を使っていてもその表現は全く異なってくるのは興味深いことだ。
 配布されたブックレットには、多くの論文が収録されていて勉強になる。等々力さんの文章はまったく憶測を含まない、実証的なものの基づくもので、さすが科学者の書く文章だと思った。「コブス」、「コムス」、「ホムス」などの語が、あるタイプの楽器を示す語として、広く世界中で使われているようなのだが、それはある国では口琴であり、ある国では三味線様撥弦楽器であり、ある国では擦弦楽器であり、ある国ではアコーディオンを指し、その名の分布だけである種の楽器の伝播を語ることはできないのだという。「コムス」が時に口琴であり、時に弦楽器をいうことは感づいてはいたのだが、その事情について少し理解が深まった。
 それにしても口琴と三味線類とが、時に同じ名で呼ばれるというのは不思議と言えば不思議である。
 そういえば、全然関係ないが、ハーモニカのことを「ハープ」と呼ぶことがある。ここにも撥弦楽器と口元の小型楽器を同じ名で呼ぶ例があるのだが、弦の響きと金属リードの響きとの間には、なにか共通の連想があるのだろうか?不思議なことである。

 帰り、夕暮れの広沢池でホーメイ。風邪で1週間ちかいブランクがあるので、鳴りが悪い。対岸では色づいた山の裾で茅葺きの家がけぶっている。池は水を落とされ、干潟のような姿を晒す。葦の群落も根際が見えて寒そうである。木舟も泥に置かれたようになって、いつもは見えない喫水以下の部分を見せていた。いずれも冬ならではの里の景色である。
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by kotoba1e | 2007-12-09 15:09 | 喉歌入門記