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百万遍知恩寺「手作り市」に行ってきた

 百万遍知恩寺で毎月15日に開催されている「手作り市」に行ってきた。うちから歩いて10分くらいのところだ。普段は長閑な広い境内が、この日ばかりは手作りの品を売る人達のブースで埋まる。その数はちょっとびっくりするくらいだ。京都にはそういう仕事をしている人が沢山いるのである。いい陽気だったせいもあるのか、身動きも取れないくらいの人ごみだった。店も多いが、訪れる人もまた多いのである。
 今日出かけていったのは、先日の尾引浩志さんのライブに来合わせていたHさんが出店すると聞いていたからである。これまで完全な独学であったから、ホーメイをやっている人と会えるのは楽しみであった。
 ものすごい人波のなか、なんとか「ナウーシニクデザイン」のブースを見つけ出した。Hさんはライブの晩よりはあやしくない(?)感じであった。しばし実演を入れながらホーメイと口琴について懇談。カルグラ(低音ガラガラ声による歌唱)を始めると、行き交う人々がびっくりしてこっちを向くのがおかしい。街中で唸って変な眼で見られるのは慣れているが、これだけ多くの人に怪訝な顔で見られるというのは、ある意味新鮮な経験であった。Hさんはさらに猛者であって、銭湯で試みたことがあるという。お連れの方によれば、「女湯まで聴こえた」とのことだった。
 話を伺っていくうちに、似たような特殊自転車に乗っていたり、共通の知り合いがいたり、お住まいが私の職場のすぐそばだったりということがわかった。ごくご近所さんである。さらに前回記事の「歩き酒」で沈没してしまった店「くらり食房」のサイトもHさんの作品だということがわかった。今度一緒に練習しましょう、と約して別れた。
 この前は河原で口琴の練習をしていた女の子と仲良くなったし、少しずつ輪が広がってきたようだ。倍音の輪が繋がっていく。今後の展開が楽しみである。
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by kotoba1e | 2007-11-15 22:39 | 喉歌入門記

歩き酒の心得

 前回は娘さんも交えての会だったが、今回は親父2名で歩き酒を試みた。結果いろいろ反省点が明らかになったので、今後試みられる皆さまの参考になればと思い、ここに恥を忍んでその経緯を記さむとするものである。

 というほど大げさなものではないが、まず

(1)酒量は最初に決すべきこと
 最初に決めた酒の量にしたがうのが、もっとも爽やかな楽しみ方だと思う。途中で買い足したり、飲み屋に入ってしまったりすると、歩き酒の純粋性は少しずつ損なわれていく。この少しずつさを味わうのは、もちろん飲酒者の感性にゆだねられている部分ではある。

(2)買い足す場合
 酒の味には最善の注意を払うこと。適当に買うと、旨いされている銘柄のものであっても後悔する。今日は、春鹿(奈良)で始めたあと、途中で賀茂鶴を買い足したが、その酸味に閉口した。こういうもので酔いを重ねるのは、歩き酒としては、残念なことである。

 (3)日本酒のあとのビールはいい
 普通はビールで始めることが多い飲み会であるが、歩き酒は日本酒スタートとなることが多い。それで一定の満足を得た場合に飲む、上等のビールは最高である。まちがってもその他酒類、リキュール類のビール風飲料を頼まないこと。あれが一発で気持ち悪くなる。
 最初ビールで、あと日本酒あるいは焼酎という飲み方がポピュラーだが、最初日本酒であとからビールというのは、なかなかいい組み合わせ。それも街中で行われると絶妙であるので、是非お確かめ願いたい。


Last updated November 13, 2007 23:49
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by kotoba1e | 2007-11-13 23:49 | のみものだもの

歩き酒

 山猫さんおすすめの「歩き酒」を試すべく、日没直後の18:00頃、銀閣寺道の入り口、白川通と今出川通の交差点に集合した。参加者は、山猫さんと私、雨傘さんの三人である。
 用意した冷酒を紙コップに移し、口に含みながら行く。まず、あえて哲学の道を通らずに、無表情な鹿ヶ谷通を南下。なんでもない道の暮れていく景色は良い。昔ながらのそろばん塾の扉が開いて、中から白熱灯の灯りが溢れ出している。迎えにきたのか送りにきたのか判らないが、若いお母さん何人かがその灯りの中で話している影が見えた。そういう暖かさが、かすかな酔いに幸せに感じられる。
 なんだかぐねぐね行って、蹴上のほうの「ねじりまんぽ」に出る頃には、かなりみんな機嫌良くなっていた。ほんの少し肌寒いけれど、それほど身に染むものでもない、という程度の気温と、歩行と酔いによってよく回ってきた血の動きとが、いい案配につりあっている。夜の東山の木々の暗さや辻々の街灯の寂しげな様子も、眼にいい感じの寒さである。大きな木が並ぶ暗い道を、白いシャツを着た高校生達が、鮮明になったり曖昧に溶けたりしながら絡み合っては消えていった。
 がちゃがちゃした音楽もなければ、周りの喧噪もない。連れ立った人達の声と町の音を聴き、町の姿を眺めながら飲む酒である。酔いもまた飲み会の約束事めいた順序とは無関係な感じで回ってくる。とても新鮮であった。なかなか風流な飲み方だと思う。酒瓶をぶらさげた姿はあまり見栄えのよいものではないかもしれないが。
 興味のある方は是非おためしあれ。事前のコース選びもなかなか楽しいものだった。
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by kotoba1e | 2007-11-11 21:37 | のみものだもの

屋久島へ行ってきた

 仕事で2日から屋久島に行ってきた。
 東京23区くらいの丸い島の中に、アルプス級の山岳が聳えているというとんでもない地形。
 海岸沿いはガジュマルが生える亜熱帯植生で、ところどころにはマングローブ林もあるというのに、山岳部の上の方は亜寒帯で森林限界を越えてしまっているという。そしてその下あたりにあの屋久杉が生えているのである。
 京都の山奥にもかなり巨大なスギがあるのだが、縄文杉の巨大さはやはり驚くべきものだった。五〇〇〇年とか七〇〇〇年とか生きてきているというのは、どういう気持ちになるものなのだろう。
 樹上にスギの葉は既に多くは見られず、着生している他の木の葉の方が目立つくらいだ。自身は少しずつ生きるのを止めていっているのかもしれない。それも完全な停止には数百年という時間がかかるのだろうし、その停止を本人が知ることもないのかもしれない。
 もう既に、樹木というよりは岩石に近い風貌であった。しかし岩石はどんなに巨大なものであっても動くものだが(事実屋久島の谷川に散在する新鮮そうな丸い岩の巨大さには驚かされる。それは今でも激しい水に洗われ、動いているのに違いない)、樹木は生きている限りそこに居続ける。そこに数千年に渡り生き続けてきたことによって、その場所自体が数千年そこにあり続けた場所として、特別なものになっているのは確かなことだ。これは神のような仕事なのではないかと思う。
 縄文杉は生長が遅く年輪の密度が極めて高い上油分を多く含むため、その材はとても堅密になるという。だからあの湿気の強い森の中に屍をさらしても、それはまったく朽ちるということがないという(今屋久杉の工芸品として出回っているのは、数百年前に伐採されたまま腐ることなく林内に転がっている残材(土埋木)を使ったものなのだそうだ!)。だから縄文杉は枯れたとしても、さらにこの先数千年はその姿をわれわれに見せ続けることになるのだと思う。

 中心部に高い峰を持つ、真円系に近い島なのだから、沿岸のどの村からもありがたい山が見えるのかと思っていたが、それは全然そうではないのだった。人々が崇める山岳は、その周りを囲む集落により近いところにある低山の向こう側に隠れてしまって、ほとんど見ることはできないのだった。里の誰もが、見えない中心のことを思いながら暮らしていて、その中心には、鉱物界と生物界を越境してしまったような生命が、今なお屹立しているという、そういう土地なのだった。

 5日に帰る予定だったが、上空が荒れているらしく飛行機は欠航となった。しかたなく水中翼船で鹿児島に渡ったが、これには3時間ほどかかり、関西に帰る飛行機に乗り継ぐことはできず、鹿児島で一晩を過ごすことになった。結局こうして九州本土に辿り着いていたのは正解だったようだ。6日になると屋久島は大雨洪水警報が出、波は4メートルの高さとなる事態となった、時間雨量60ミリの雨が降るとも聞いた。もし鹿児島に上がらず、屋久島で一泊していたら、島から出られなくなっていたに違いない。

 日本の自然の、ある極端な姿が顕現しているような島だった。
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by kotoba1e | 2007-11-07 01:43 | まち・地域・場所