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ばらばら

 なんだかいろんな用事がとっかえひっかえなので落ち着かない。心を亡くすと書いて忙しいと読むというがそういう感じ。単純に動き回っている時間が長いというよりは、フラグメンテーションだよ人生は、という感じだ。
 当然本など読む時間はない。うんこの時になんとなく持って行った本が、そのままいい加減なところに置かれて、そのまま読まれるでも無くただあり続けるというのが部屋の光景であって、我が心もこの本のようなものである。
 ちょっと空いた時間はすべてホーメイに費やされる。この時間だけが心を取り戻す時間だ。喫煙者における煙草の時間もこんな感じかと思う。
 というわけで、更新はなかなかできません。大臣の自殺のことやらいろいろ感じることはあるが、もうそういうことについて持論をぶつのも草臥れる。だめだなあ。

 ところで全然関係ないが、「美尻」というのはどう読むのだろうか。「美脚(びきゃく)」、「美乳(びにゅう)」の伝でいけば、「びしり」か。でもなんか音の座りが悪い。「みしり」だろうか。これもどうも変な物質感があって違和感がある。いや、はまりすぎなのだろうか。それとも「尻」のほうに、もっとよくはまる音読みがあるのであろうか。
 読みがわからなくてもなんとかなっている言葉が、日本語にはたくさんあるような気がする。
 その逆もあるな。書けないがなんとかなってしまっているというのは、もっと多いだろう。
 40過ぎまで私は「茶」という字が書けなかった。ずっと荼毘に付す、の「荼」を書いてきたのだ小学校の昔から。ずいぶん抹香臭いことである。

 明日も早いのでもう寝ます。
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by kotoba1e | 2007-05-31 23:39 | もろもろ感想

どうぶつ弁当

 今日は会議があって湘南まで行ってきた。本当は明日明後日までの長丁場なのだが、日帰りで帰ってきた。乗り換え駅の町田では、あんまり人が多いのでびっくりした。渋谷のようだ。鬱屈していた若い時分、渋谷をうつむいて歩きながら、「みんな死ねばいいのに!」と思っていたことを思い出した。同じことが、読んでいた松本圭二「アストロノート」にも書いてあったので、割と意識に近いところまでその時の感覚が帰ってきていたのだろう。

 会議は定足数のために行ったようなものだったので、途中で我慢できなくなってビルの外に飛び出し、庭石に腰掛けて「うぃ〜」と唸ってきた。だんだん頭が痺れ、眼蓋が重くなってきて、どうでもいい気持ちになってきたので、そのまま京都に帰ってきてしまったという訳だ。行動レベルではニコチン中毒の人とあまり変わらないような気もするが、騒音を出すだけこっちの方が迷惑かもしれない。

 行き帰りの新幹線は充実した読書の時間になった。行きは「アストロノート」。闇雲だが本当だ、と思わせる力のある詩集だ。最後の「スギトトホ」のそのまた最後の2行でぐっときた。無茶苦茶な暴走詩で突っ走ってきていながら、最後は愛娘カーハちゃんとのユーモラスな対話で収めるというのは、ちょっとズルいんじゃない?と思ったのだが、最後の

絶対死なないようにできる?
うん、できる。
にははっとした。犬を飼うの飼わないのというやりとりから出てきた言葉なのだけれど、いつかは死んでしまう命を、何か飛び越えてしまっている。そういう話を娘としている。そして末尾から、詩集全体にある響きを返しているように思った。
(で、松本圭二のブログを見たら、5月19日付けで、「とうとう犬が来た。黒のトイ・プードルで名前は「バロン」」とあった。「プラテーロ」にはしなかったんだな。カーハちゃんに反対されたのかもしれない)

 帰りは、倉田さんが送って下さった藤井貞和「タブーと結婚〜『源氏物語と阿闍世王コンプレックス論』の方へ」を読み始めた。面白い。


読書とは呪術の一種ではないのか。物語は神が見えなくなろうとしている時代の、それにとってかわる強力な<神>の装置であると、ここでも強調しておきたく思う。


 帰りの「のぞみ」の社内で、幕の内をもとめて食べている時、突然「どうぶつ弁当」というものが頭に浮かんだ。どうぶつが沢山入っている弁当。蓋の厚紙には、まんが昔ばなし風のイラストの中でありがちな動物たちがポーズを作っている。そして筆文字の「どうぶつ弁当」のロゴの下に、丸ゴチックで動物の名前が列記されている。「たぬき、きつね、さる、いたち、てん、しか、かもしか、いのしし、うま、きじ・・・」容器は普通の駅弁風なのだが、変に重みがあって、ゆすると毛がすれるような音がする。蓋を取ると・・・
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by kotoba1e | 2007-05-20 01:49 | もろもろ感想

ホーメイ修行

 ゴールデンウィークは終わったが、ホーメイ修行は終わらない。
 今日はAmazonから、CD「Tuva:Voices The from Center of Asia〜Miraculous Singing from Siberia Preserves an Ancient Sound World」(Smithsonian Folkways)が届いた。さまざまなタイプのホーメイが収録されているばかりでなく、基本となる5つの発声法についてのテキスト(英文だが)も付されていて、とても勉強になりそうだ。
 だみ声で唸っていると、家族にはひどく嫌がられる。だが止めるわけにはいかない。みんなが寝静まった後、浴室に籠りドアをきつく閉めて唸ったりする。そうするとあっという間に時間が過ぎてしまう。やらなければならなかったことも、現実的にはできなくなってしまっていたりする。
 ホーメイの発声に集中していると、純粋倍音がどこか遠くから頭蓋を突き抜けるようにして降りてくる感じがある。倍音の響きに注意しながら、咽頭と舌、唇を注意深く動かしているときは、何かの霊と対話をしているような気持ちになる。だんだんその響きに脳が振動して、気持ちよくなってくる。ちょっとした瞑想状態である。
 一段落すると、嫌な気分はどこかに行ってしまう。嫌な気分だけならいいのだけれど、やらなくてはならなかったことも、どうでもいいような気持ちになってしまう。これは大変に困ったことなのだが、ホーメイをやると困る中枢が麻痺するので、あまり困った感じにならないのである。この事自体も客観的には困ったことであるが、主観的にはどうでもいい感じだ。
 だから今日はもう寝ようと思う。
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by kotoba1e | 2007-05-09 22:06 | 喉歌入門記