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烏哭き

 朝の10時頃、外で烏の声がし出した。
 あーあーという声が幾十も重なって降りてくるようだった。中には烏のものとも思われぬ、きゃーという悲鳴のような声も混じっていてぞっとした。
 窓から外を見ると、通行人が足を止めて屋根の方を見上げているようだった。その間にもぎゃーぎゃーいう声の塊が、近づいたり遠ざかったりした。
 なんだろうと思って外に出てみると、団地の住棟という住棟の上に、烏が並んで留まっている。おびただしい数である。そして何かある切実さをもって鳴き交わしているらしい。曇天を背景にして、真っ黒な鳥に高いところにずらりと並ばれると、見下されているような圧迫を感じる。
 昔郷土資料館でもらった資料に、「死の予兆」というページがあって、そこに烏鳴きが悪いときには云々というのがあったのを思い出した。烏鳴きが悪いというのはこういうことかと、単純に納得した。今日、この団地で誰か死ぬのかもしれないと思った。そう思うことがまったく自然であるように感じられたのだった。
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by kotoba1e | 2007-04-22 23:37 | 自然と景色

ブッツァーティ「神を見た犬」(光文社古典新訳文庫)

 ディーノ・ブッツァーティの短編を集めた文庫が出たという。しかも、長い間読めなくなっていた「戦艦『死』」が収録されているというので、すぐに本屋に行ってもとめた。
 「戦艦『死』」が読みたくて、ブッツァーティの本を探していたことがあった。「タタール人の砂漠」をはじめとする代表作は、まだ手に入ることが判ったものの、この作品はどこを探しても見つけることができなかった。
 この小説に興味を持ったのは、辻征夫の散文詩「梅はやきかな」を読んだのがきっかけだった。この詩そのものも奇妙なもので、その相当部分が、この「戦艦『死』」のあらすじと引用でできているのだった。しかもその詩の中で顔の一部を覗かせている小説がまた、とてつもない幻想を含み、また異様なプロットを持つものであることが伺われるのだった。是非その小説を読んでみたいと思っていたものの、なかなか目にできない。小説それ自体が物語の中の謎の戦艦のように、霧の向こう側に行ってしまっているようだった。
 今回関口英子の新訳で出た「戦艦『死』」を読んで、辻の詩に書かれたあらすじが、きわめてものの小説に忠実なもので、変な操作をしていないものだったということが判った。違うところは、小説の中で描かれている、「戦艦『死』」=フリードリヒ2世号に乗船した軍人たちの矜持、苦悩、狂気、絶望といったものが省略され、物語内の事実関係だけを淡々と述べていっているところだ。これは多分意図的なものである。辻は、そうした軍人の心のあれこれを一切省略したかたちで語りきった後で、村上一郎の歌

飢ゑつつもわれは士官と背を正し丘を下れば梅早きかな
を唐突にぶつけて、詩を閉じる。このことの意味については、また考えてみたいと思う。

 辻自身が詩の中で比較を行っているが、この怪物戦艦フリードリヒ2世号は、われらが戦艦大和より、少々大きい程度の船である。むしろ大和が現実の船として異常なのかもしれない。
 小説の中で語られる乗船している兵士たちを包む不穏な空気、方針についての見解の分裂などは、吉田満「戦艦大和の最期」で有名な、大和の艦内での絶望的な討議を思い起こさせるものでもある。また、秘密裏に建造され、「いかなる休戦条約にも拘束されない。すでに崩壊した祖国の最後の自由な部分として、大洋のただ中にとどまる」というあり方は、かわぐちかいじ「沈黙の艦隊」の原子力潜水艦「やまと」を思い起こさせるものでもあった。
 まあ、このあたりは下手な連想に過ぎないし、この幻想小説を読み解く上で意味がある関連づけとも思えないけれど、外洋とか戦艦とかといったものについての、似たような想像力が介在しているのかもしれない。イタリア(ブッツァーティ)、フリードリヒ2世号(ドイツ)、大和(日本)という、敗戦国の海同士を繋ぐ、幻想の輪のようなもの。
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by kotoba1e | 2007-04-15 23:13 | もろもろ感想