<   2006年 09月 ( 1 )   > この月の画像一覧

足摺行報告

 土佐清水は遠かった。ようやく辿り着いたそこは、言葉は悪いかもしれないが、地の果てという感じがした。この「果て」の感じは、その遠さによってだけではなく、太平洋に飛び出した尖った土地というその土地の姿によっても、一層強調される。
 高速道路網が整備されだいぶ便利になったとはいえ、なお遠い地である。今でも土佐清水市は、東京から最も到達しがたい土地なのだそうである。北海道や九州の南端よりも、行きにくい場所なのだそうだ。
 この「果て」の感覚は、かつてはもっと強かったに違いない。そしてその「果て」の感覚は、死や異界をあきらかに引き寄せているように思われた。

 足摺岬は、自殺の名所として知られている。それは田宮虎彦の小説「足摺岬」とそれを原作とする映画の影響が大きいとされるが、それ以前からこの地には入水の伝統があったようだ。ここは紀伊熊野と並ぶ、補陀落渡海の聖地だったらしい。海の彼方、あるいは海の下にある観音菩薩の浄土へ行かむとして、ここから大洋に出て行くという、いわば海での即身成仏のような伝統が、古代以来続いてきたという。確かにこの四国最南端の岬から明るく広がる太平洋を見ていると、その向こう側から呼び寄せられるような気がしてくる。これは誰でも感じることだと思う。そこに信仰の強い圧力が加われば、人は容易に海に引き込まれていってしまうのだろう。

 知り合いの家の娘さんに案内してもらったのだが、今でも海で死ぬ人は多いのだそうだ。同級生の親は5人くらい亡くなっているとのこと。漁に出て帰らなかった人もいるし、酒を飲んで海に落ちるというのも、よくあることなのだそうだ。なんにせよ、海と死とが、地域の人の気持ちの中では強く結びついているようだった。
 まったく観光化されていない臼碆地区の竜宮神社は素晴らしかった。社殿は素人造りの簡素なものだが、その海に突き出した岩場は、漁師の安全を祈願するのにふさわしい場所だと思われた。かわいらしい竜女の像には、夫を案ずる妻達が献じた真新しい首飾りが、その像が埋もれてしまうほどに懸けられていた。海に出る人達の信仰が、ここには生きているのだった。

 今でこそレジャー的にも捉えられるようになった四国八十八ヶ所巡りだが、かつてはその罪や病によって共同体に戻れなくなった人が、生と死の狭間を辿るようにして歩くことも多かったのだという。そしてその回遊コースの一つの果てであるこの地で、空と海の明るさに吸い込まれるようにして死んでいく人も多かったのだと言う。
 最近目立っているのは、遍路の末ここに辿り着いて、そのまま住み着いてしまう人が多くなってきていることらしい。おそらく自分探しの旅に出て四国を歩いているうちに、他のすべてから切り離されたかのような、そして古代からさまざまな神秘を伝えるこの土地に吸い寄せられ、居着いてしまうようなのだ。半島の山上、縄文期の祭祀施設だと言われる巨岩群「唐人駄場遺跡」の近くに、打ち捨てられたようなたたずまいのリゾート施設が、ぽつねんと建っているのだが、そこにスピリチュアル・カウンセラー(?)の人を一つの核としたコミュニティができつつあるらしい。
 この巨石群の周りにもストーンサークルが多く見られたという(公共事業で破壊されてしまったものも多いらしい)。唐人駄場遺跡周辺は、怪光がよく現れるところとして町の人達の間では知られているようだった。巨石群については、「トンデモ」的なものも含め、いろいろな視線が注がれ、いろいろな言葉が語られているようだった。それらの正否はともかく、ここが空に向かって開いた、時空を超えた不思議な場所であるという気分は、間違いなく存在していた。
 ここに流れ着き住み始めた人達は、何重もの境に住んでいるのだろう。そしてそこは「生死の境」でもあるように思われた。

 土佐清水の「果て」「生死の境」といった性格を表象しているものがもう一つある。それは土佐清水病院の存在である。保険指定を受けず独自の見識による医療を行っているこの病院には、他の病院で見放されたり、あるいはそれまで受けてきた医療に納得いかなかったりといった、アトピー性皮膚炎と末期ガンの患者が殺到しているという。治療実態やその妥当性についてはいろいろな評判があるようだが、他の土地ではにっちもさっちも行かなくなった人達がここに辿り着き、他ではありえないような種類の治療を受け、ある場合には死んでいくというそのありようは、あまりにもこの土地に似つかわしいようにも思えた。

 大洋に向かって開いた「果て」は、別世界への通い路であった。このことは、この土地をたんなる「どんづまり」にせず、人々の心持ちを開放的にしているようにも思えた。神野富一さんの興味深いwebページ(http://www.bunkaken.net/index.files/raisan/fudaraku/tokai1.html)によれば、足摺の補陀落渡海の中には自殺的なものばかりでなく、「此の世間の内」にある観音浄土に生きて辿り着こうという意思も、歴史を通じて連綿と見られるのだそうだ。そして、周到に準備して琉球に到った僧侶もいたという。
 このような、海を経て別の世界に到達したという伝説の系譜に連なる最も著名な人が、中浜地区出身の偉人、中浜万次郎(ジョン万次郎)である。幕末、漂流の末アメリカで学び、英語教育や先端的な造船、操船、測量技術等を伝えて、日本の近代化に寄与した人としてあまりにも有名であるが、この人もこの土地の中から見ると、「海の向こうの世界へアクセスした人」の一人であるように思われた。
 こうした歴史もあって、草の根の国際交流が結構盛んなのだそうだ。近畿関東の大都市を経由せずに、世界とあるいは異界とつながっているという感覚は、この地が生きていく上で大切なものであるように思われた。

 もう少し先まで行くと、海中公園で有名な竜串地区がある。ここでは海中に入って珊瑚礁を見ることができるらしい。崖の上から見る限りでは、透き通って美しい水も、近年はいろいろ問題があるらしく、珊瑚礁は危機を迎えているのだそうだ。
 珊瑚礁があるくらい暖かいところであるから、緑の姿も当然違ってくる。海辺の林はウバメガシでびっしりと覆われていた。黒潮が運んでくる暖かさと湿気のせいか、アジサイがまだ咲いていたのには少し驚いた。そして圧巻だったのは、他の木にとりついて絞め殺してしまうというアコウの大木であった。そのうねりながら巻き上がっていく奇怪な姿は、植物達の以上な生命力を代表しているように思えた。この命の力強さも、海と空の圧倒的な大きさ、明るさと並んで、弱っている人の心を圧するもののように思われた。照葉樹林の木下闇には、なつかしく恐ろしいものが潜んでいるようだった。
 明るさと暗さ、生と死、海と空と森、古代と現代、いろいろなものが交差しあう半島だった。ここを訪れたことで、畏れの感覚がよみがえるのを感じた。この混乱はしばらく尾をひきそうだ。


- - - - - - -

 明石海峡大橋の壮麗さは素晴らしかった。この巨大さ、単純な美しさは、なんということだろうか。賢しらだった建築デザインなどは絶対に到達できない、土木ならでは境地だと思った。通行の為の実用物件に過ぎないのに、宗教施設のような崇高ささえ感じさせる。もしかしたら自動車達はこの橋を信仰しているのかもしれないと思った。
[PR]
by kotoba1e | 2006-09-12 23:05 | まち・地域・場所