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OUT OF PLACE

 去る5月1日(月)、京都造形芸術大学で佐藤真監督の「OUT OF PLACE」の上映会と、それについてのシンポジウムがあったので行ってきた。
 「OUT OF PLACE」は、エドワード・サイードの思考と足跡とたどるドキュメンタリー。サイードが幼時を過ごした別荘や、その墓所を訪ねるところから映画は始まる。そうやってサイードの生きた跡を丁寧にトレースしていくのかと思いきや、それは割とはやばやと断念されてしまう。青年サイードの葛藤だとか、それ以降の歩みだとかは、映像として追われることはなくなってしまう。かわりに家族やコロンビア大学の同僚たちの証言によって、サイードの人となりと思考が語られることになる。
 そういうインタビューばかりになりかけたとき、カメラは急に違う方に向き出す。サイード的な故郷喪失/境界上の生を生きる、無名の人たちの生活に入り込んでいくのだった。不自由な難民キャンプでがんばって生きている大家族や、イスラエル国内で、残留していたパレスチナの街(あるのです、そういうところが)を合併して有名無実化していくニュータウン、とそこに住む人々。「阿賀に生きる」の監督は、どうしてもこわばりがちになる議論を時に離れて、そういう普通の人々の生を活写していく。そしてここから、抜け落ちてしまったサイードの生が逆に照らし出されるようだった。

 シンポジウムでは、未亡人マリアム・サイードさんのお話が素晴らしかった。佐藤監督の、知性的でありながら同時に肉体的で、ユーモアを交えながら必ず具体的なところに帰ってくる語り口も魅力的だった。ゲストの鵜飼哲さんは、サイードは声の人だったと言っていたが、以前テレビで放送された講演で、意味も判らぬまま不意に涙させられたことを思い出すと、たしかにそうだったのかもしれない、とも思った。

 シンポジウムでも、パレスチナ関係の話題が中心だったけれど、本当のテーマは「OUT OF PLACE」という生き方そのものだったような気がする。自分にとって特別な意味を持つ場所を離れて生きるということ。それは強いられることもあれば、選択されることもある。意識さえされずにそうなることだってあるが、今やだれもが生きなければならない生でもある。これは「阿賀に生きる」の村人たちの、確かな生の対局にあるものだ。
 自分自身のアイデンティティの不確かさを受け止めながら、寄りかからずに生きるということ。その厳しさと厳かさがサイードにはある。アイデンティティの捏造を潔く拒みながら、同時にかけがえのない土地を思う多くの人々に寄り添うこと。「OUT OF PLACE」を生きるならば、この態度は他人事ではすまされないはずなのだ。そして、この回路を経てのみ、この映画の舞台は共感可能なものとなるような気がした。

 パレスチナ人サイードは、イスラエル人バレンボイムと音楽教育に関わる財団を作り、活動していた。もちろんその活動はサイード亡き今も続いている。アンサンブルを共にする経験ほど、人を直に結び付けるものはない。素晴らしいことだと思った。テーマに使われていた、シューベルトの即興曲(”Schubert: Impromptu in A flat major, D. 935, No.2(Op.142,No.2)”)は、2005年1月のサイード・メモリアル講演で、ダニエル・バレンボイムが演奏したもの。深い音色が印象的だった。
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by kotoba1e | 2006-05-04 23:05 | もろもろ感想