カテゴリ:自然と景色( 12 )

疏水の蛍

■5月31日(月)
 終日のワークショップの後、家で食事。その後子ども2人を連れて近所の琵琶湖疏水へ。ほんださん情報のとおり、蛍がすごい。あと2週間くらいなのだろうか。何度か行っておこうと思う。季節の楽しみに事欠かない街である。
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by kotoba1e | 2010-06-01 23:43 | 自然と景色

またたび

■6月7日(日)
 天若湖アートプロジェクトの一環として、水没せぬまま廃村となった村「小茅」の現地踏査に行った。この感慨については、改めて天若湖アートプロジェクトのブログで触れたいと思うので、ここでは詳述しない。
 その帰り道、湖畔の山道にて、「またたび」を発見。この季節、枝先の葉が白くなるので、すぐにわかる。車を停めて、一枝いただいてきた。

 ふだんクールにキめているもっちゃんだが、やはり猫である。これには勝てない。新鮮な歯を噛み締めては、だらしなく横になって、身をよじったりしている。猫にとってのまたたび、人間にとっての何にあたるのだろうか。
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by kotoba1e | 2009-06-08 00:43 | 自然と景色

エコ商売

 よく知っている若い人が研究室を訪ねてきた。いい話があるのだという。何かと思うと、地球環境に優しい仕事をしているのだという。CO2吸収能の高い桐の品種で森作りをするのだという。森作りそのものを技術的にやっているのかというと、それは地元の林業家に委託しているのだと言う。仕事はその苗を森作りをしたい企業等に売ることなのだという。このあたりで「?」が点灯し始める。それにしては単価が高い。それに一種類の木、しかも同一クローンの個体だけで、世界中に森を作るというのは、地域生態系の破壊に繋がる話であって、とてもではないが環境に優しい森林再生とはいえない。このあたりの技術的な回答はなかった。そうこうするうちに「先輩」と称する人物が現れた。「代表取締役」とある名刺を見ると、先にきいた社名と違う。「代理店です」とのこと。なるほど。「先輩」は生態学的に間違ったことも含め、立て板に水という感じで説明を始める。こちらには口を挟ませない勢いだ。クリアファイルに入った資料を見せる。洞爺湖サミットの本に載ったとか、新聞に載ったとか、という話だが、新聞記事には新聞名も掲載月日もないのであった。その樹木の生育状況についての学術的な裏付けはあるのかと問えば、「そういう細かいことは」という。学術の場に来て勝手にまくしたてておいて、こういう言い草はふざけたものだと思った。で、結局何のために来たのかというと、どうやら現在の活躍を見てほしかったわけでも、苗を買ってほしかったわけでもなく、「一口25万円」の賛助金を支払って、仲間になって欲しい、ということのようだった。問いただせば、N君もそこで働いているというのではなく、出資して勧誘側に回ったということのようだ。
 この商売が画期的なのは、「出資を募る」という形ではなく、「任意の賛助金」を集めるというスタイルを取っていることだろう。配当も一切保証しないわけだから、どうやっても「詐欺」にはならないと踏んでいるものと見える。どうあれ、まともな商売ではないことは明らかだった。苗を売ること、森林を作ることよりも、この賛助金を集めることが、主要なビジネスになっているようだ。
 その辺が見えたところで、早々にお引き取りいただいた。よく知る若い人ががそういう仕事にぶら下がっていることには、苦々しいものが残った。

 「なんだかよさそうなことのような気がする」という素人の善意につけ込む「エコ商法」といったところなのだろう。出資して代理店側に回っている人にも、一攫千金を夢見る人と、まじめに「よいこと」と思ってやっている人とがいるのだろう。久しぶりに訪ねてきてくれたN君は後者であってほしいものだと思う。そして早く目覚めてほしいと思う。
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by kotoba1e | 2008-11-12 11:19 | 自然と景色

美しい亀岡盆地

 小雪舞う夕暮れの亀岡盆地に保津峡を抜けて滑り込んで、その空の美しさに驚いたことがあった。そのことは「盆地の黄金」という記事に書いたが、どうやらこの盆地の、特に空の美しさというのは、僕だけが感じているものでもないらしい。亀岡のミュージアムに勤めるさとうさんのブログに、亀岡盆地の夕景の美しさを讃える記事を見つけて、やはりそうなのか、と思った。これは詩的な何かであり、名づけなければならない、という下りに目がひきつけられた。新しい叙景詩が生まれそうになっているのだと思った。
 そういう訳で、さとうさんと一緒に亀岡の夕景を見に行くことにした。風景と交感する小道具として口琴を携えて。この9日のことである。
 なんとか日没前に亀岡駅にたどり着いて、曽我谷川と保津川の合流点の当たりまで歩いた。護岸に腰をおろし、街の向うの山際の色が変わっていくのを見ながら、口琴を弾き、お酒をいただく。美しく作られた訳ではないビル群が、シルエットになった山並みに収まるようにしてぼうっと光っている。足下の黒々とした茂みから水音が聞こえ、その向うの田んぼからだろうか、虫の声が幾重にも重なって聴こえてくる。水音の中には、アユモドキが水を切る音も入っていたのかもしれない。そんないくつもの音に耳を澄ましながら、口琴を弾いているうちに、陽はとっぷりと暮れてしまった。
 サハ共和国の人々にとって、口琴の音色は春の歓びの音なのだそうだ。厳しい冬が終わって渡ってくるさまざまな鳥たちの声や、雪どけの滴の音などを表現するのだという。
 日本はまた自然の条件が違うけれど、自然の音と響きあうという点では、やはり口琴の素晴らしさが生きるようだ。人間が後から手に入れた「はおと」のようなもの。そういえば、辻征夫さんの詩に、耳の後ろに虫の羽音のような天使の声のようなものがやってくるのがあったっけ。その詩は別に口琴をうたったものではなかったけれど、口琴にはそういう「やってくる感」がある。口琴の音は風景の向こう側のなにか彼岸的なものの息吹を伝えてくれるような気がした。それにしても途中でひっぱり出したNintendoDSの電子音の似つかわしくなかったこと! あの時の恥ずかしい気持ちはなんだったのだろう。
 真っ暗になって手元がおぼつかなくなってからは、城址の堀を活かした街の真ん中の南郷公園で口琴会の続き。堀の水面から、ときどきとぷんと音がする。月の下、蓮に囲まれながら虫たちとやりとりしていると、なんだか昔の中国の詩人になったような気もしてくる。彼らも口琴を持っていたのだろうか。多分持っていたのだろうと思う。地酒と口琴の音色と風景にとろりと酔った良い晩だった。やっぱり亀岡盆地は美しかった。
 どういう訳か、途中でいろいろ知り合いに会った。「口琴をもって亀岡盆地をふらふらする会」という主旨は理解してもらえたのだろうか。土木事務所のAさんからは、盆地を縁取る山からの眺望の素晴らしさを教えていただいた。今度足を伸ばしてみようと思う。
 また明日にでも書くつもりだが、この数日後に東京渋谷の「国際口琴フェスティバル」を覗きにいった。これはもちろん素晴らしいものだったけれど、ラブホテル街のライブハウスでマイクを通過した口琴の音色を聴くのと、その時にしか現れない風光と虫たちの声の中で、ごくごく小さな輪で生の口琴の音を重ねて楽しむのとでは、やはり後者の方がずっと深い嬉しさがあるものだと思った。こういうローカルな楽しみ方が、ものすごく似合う楽器である。
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by kotoba1e | 2008-10-16 00:24 | 自然と景色

盆地の黄金

 朝からえらい雪が降っていた。週末の雪よりも粒が大きく、その数も多い。歩道に立って雪を見ていると、手前の雪は横殴りに流れていくのに、その奥の雪は真っすぐに降りてくるのが不思議に思われた。少し歩いてもそれは変わらなかった。
 雨は加速しながら落ちてくる感じがあるが、雪は一定の早さで降りてくる。その降りてくる雪を見ていると、だんだん眼玉が伸び上がっていくような気がした。

 今日は職場で一件会議をこなして、そのあと夕方から亀岡で打ち合わせだった。山陰線にのって保津峡を抜ける。トンネルの間ごとに景色を顕す保津峡にはもう夕闇が迫っていて、なんだか立体感がなかった。山も空気の灰色で、もう夜が近いように感じられた。

 電車が保津峡を抜け亀岡盆地に入ると、景色が一変した。小雪まじりの風を満々とたたえた盆地に低い夕日が入って、風景のすべてが金色に輝いていた。雪の残る里山も家々の屋根も、なによりもその空気そのものが光を放っていて、盆地が内側から照らされているようだった。その景色には影というものが見当たらないように思われた。

 馬堀の駅を抜け、亀岡に着くまでの数分の間、その恍惚は続いていたように思う。亀岡駅の改札の向こうにはぼた雪が降りしきり、すべては灰色に戻っていた。
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by kotoba1e | 2008-02-13 23:55 | 自然と景色

烏哭き

 朝の10時頃、外で烏の声がし出した。
 あーあーという声が幾十も重なって降りてくるようだった。中には烏のものとも思われぬ、きゃーという悲鳴のような声も混じっていてぞっとした。
 窓から外を見ると、通行人が足を止めて屋根の方を見上げているようだった。その間にもぎゃーぎゃーいう声の塊が、近づいたり遠ざかったりした。
 なんだろうと思って外に出てみると、団地の住棟という住棟の上に、烏が並んで留まっている。おびただしい数である。そして何かある切実さをもって鳴き交わしているらしい。曇天を背景にして、真っ黒な鳥に高いところにずらりと並ばれると、見下されているような圧迫を感じる。
 昔郷土資料館でもらった資料に、「死の予兆」というページがあって、そこに烏鳴きが悪いときには云々というのがあったのを思い出した。烏鳴きが悪いというのはこういうことかと、単純に納得した。今日、この団地で誰か死ぬのかもしれないと思った。そう思うことがまったく自然であるように感じられたのだった。
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by kotoba1e | 2007-04-22 23:37 | 自然と景色

自ずから然るということ

 二年ぶりくらいに部屋の大掃除をした。どこに何があるかではなくて、どこに何が生えているかわからないというような状態になりつつあったので、家人からの苦情に屈し、さすがに片づけざるを得なくなった。
 机はすでに机の用をなさない。というか、どこに机があるのか判りにくいようなありさまであった。机の上に物がうずたかくフルヘッヘンドしているのと同じくらいに、床からも諸物が伸び上がっているからである。床に積まれるのは、始めのうちは雑誌や本である。こういう物体は平面性に秀でているので、床の上に放り出しても、それなりに確かな収まりかたをしてしまうので、この時点ではあまり乱雑な感じはしない。だが気づくと—これは本当にいつのまにかとしか言いようがないのだがーなんだかよくわからない塊が部屋を覆っているということになっているのである。
 始めは平らに積まれていた物が、次第に文具や楽器、種々の包み紙や菓子の残りのようなものを挟み込むようになり、当然その建築の安定性は損なわれてだんだんと傾いていく。その一方で別の所では小さいものの上に大きなものが載せられ、これもまた危なっかしいことになっている。こういったもの同士が、相互に支えあう場合もあるが、それは幸運な偶然が働いた場合に限られ、將棋倒しという道を辿ることもまた多いのである。
 こうなると、部屋の主としてはもうどうかしようと言う意志を失ってしまう。それらの塊を除去する、または直立させるということが要求する時間と労力を想像するだけで、胸は塞がってしまう。なにも今しなくてもいいではないか、と思うのだが、そう思ったときには、また堆積が始まっているのであった。残骸の上に新たに物が積もりだし、いつしか複雑な地層が形成されることになるのである。
 こういうことであるから、僕は片づけられない人間として、家でも職場でも常に批判されてきた。
 しかし断じて言うが、僕は散らかそう、汚くしようという意志をもって部屋を汚してきたことは、これまで一度だってなかったのである。その時その時のやるべきことは、それなりにやってきたつもりである。例えば本を読み、学んだ。ただ、それを書棚に返すことができなかっただけだ。そしてこれは、読書そのものとはまったく関係ないことである。
 部屋の堆積と成長は、僕の意志の外側で起きていたのである。森において樹木が成長するように、鼻孔において鼻糞が成長するように、知らないうちに、部屋は成長して一定の形を持つに至った。これは、僕の力の及ぶ外側でのできごとであった。むしろ自然現象だったのではないかと思うのである。
 そしてさらにいえば、「自然」とはこのような、操作を断念された、不作為の領域のことをも、もともと含んでいたのではないかと思うのだ。

 いきなり話は飛ぶけれども、近年里山ボランティアというのが盛んだ。一九六〇年代の燃料革命によって経済価値を失ってしまった薪炭林が、放置によって荒れてきているという。それを市民の手によって、「生態学的に良好な状態に維持管理」しよう、というのである。
 僕が不思議に思うのは、こうした活動の中で「かつての里山は生態学的に理想的な管理をされていた」というような言葉が聞かれることだ。炭や薪にするために木を切っていたことが、森の環境を良くしていた、というのだ。
 たぶんそのこと自体は、確かなのだろう。疑問に思うのは、そういう伐採が、「管理」するぞという意識のもとで行われてきたのかどうかということだ。現在里山ボランティアたちがそこの環境を守る上では、木を伐ることは、「管理」に他ならないが、かつての里人が山に柴刈りに行くというとき、それはあくまでも柴刈りであって、「管理」ではなかったのではないか。この二つは、客観的にはまったく同じ行為であることもあるのだろうが、その「刈る人」にとっては、まったく違う意味を持っているように思う。そして彼らに捉えられている「自然」もまったく違ったものなのだと思う。
 もちろん、昔の里人だって、木を伐り倒し森を明るくすることが、どんなことをもたらすかは(今日の生態学者やボランティア以上に)知っていたはずだけれど、そこから森がどう蠢いていくかは、彼の作為の外だったのではないかと思うのだ。
 伐られた森は、伐られたことを一つの契機としながら、それはそれとして独自の生を生きていく。そして人はその傍らをまた生きていく。その交渉は、「管理」とか「意志」とか「支配」といった世知辛いものでは、多分なかった。そこには肉親あるいは己の半身のような親しさがあり、疎遠になったときには、そうした近しさ故の容赦のなさがあったのだろう(戦後の開発による風景の破壊の背景には、そんなDV的な残酷さがあるように思う。)

 「支配」や「管理」の対象として直視しないこと。その自由な運動を横目で許すことで、里山は命に満ちたものとなる。それは、里山が「多様な『生物』を住まわせているから」では多分ない。そのような、自由な運動を横目で許す態度そのものが、そこに生命を呼び寄せるのだ。何者かが「生命」をもってそこに顕れる、ということと、それが生物であるということは、いつも同一視されてしまうけれど、おそらく違う問題なのだ。
 これはおかしな考え方だろうか。でも、「支配」と「管理」の視線を向けられた人は、そこでは既に生きた人間ではない(この視線は今や誰もに注がれているけれども)し、一方「神」というのは常に、さっき述べたような仕方で「生命」あるものとされてきたのではなかったか。神はいつだって、人間が直視したり支配したりできない者だった。もしかしたら、神とは僕たち自身の不作為の集合体なのかもしれない。
 整理整頓は、その空間の隅々まで視線で射抜き、管理しようとする意志の現れだ。支配すること、すべてのものの管理が可能であると考えること、そういう視線で世界を眺め渡すことに、たぶん僕たちは慣れすぎたのだ。この視線はメデューサの視線で、眺め渡された世界は冷たく凍り付いてしまう。言葉は世界に触れることなく、管理下でのトートロジーが増殖し始める。今世に溢れている、既視感を伴う言葉たちは、こういうものなのだろう。

 そういう訳で、僕の部屋には神がいる。大切なものを不意に隠したり、思わぬ時に顕現させたりして、僕を畏れさせる。大掃除の直後の今は、刈られた山のように明るいが、またいずれ暗く潤った森へと育ってしまうのだろう。
 話が大きくなってしまった。片付けられない言い訳は、もうこの辺にしておこうと思うが、整理と計画に追いまくられるのも確かに窮屈なことだ。いいかげんであることは犯罪であるかのように言い募られる世の中だけれど、ちゃんとしすぎると見えなくなるものも、多分あると思うのである。


初出:tab第2号(2007年1月発行)
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by kotoba1e | 2007-03-14 09:41 | 自然と景色

おとをかぞえて

 開け放たれたベランダから、団地の中を走るトラックの音がする。よくわからない鳥のぢぢっというような声、車のドアを閉める音、遠いスクーターの音、すずめの声、これで五つ。商用車がバックする音もした。よくわからないぱたぱたいう音。ぱこという音。そんな一度きりの音がある向こう側でずっと鳴っていたようなのに、聴こえていなかったかすかなうなりのような音。波のような音。遠い音。このあたりまでくると、一つ一つの音を聴き分けることは難しくなってしまった。もう数えることなどできない。音の個体を包み込む皮膜は溶けてしまっているようだ。そこから振り返ると、まるで当たり前のように聴こえていたはずの身近な音たちの輪郭も、急に所在なく思われてきた。
 最初に聴こえた音たちは、みな「○○の音」として意識のなかに現れてきた。それらはみな明瞭なかたちを持っているように思われた。その向こう側から聴こえてきたのは、何が鳴っているのかよく判らないが、音として確かに捉えられる音、「○○な音」と形容したり擬音語で言い表したりできるように思われるものだった。そしてそのさらに先におぼろげに聴こえるのは、音であるらしいとしかいいようのない、そういう広がりなのだった。
 「○○の音」として、まず音を聴いてしまうという習慣は、考えてみれば奇妙なものである。車の音、のこぎりの音、鳥の声、なべの煮える音、子どもたちの笑い声、ギターの音、歌う声・・・。ほとんどの音はそのように聴かれている。そうでない、意味を与えられる前の音は、耳に入ってきていてもほとんどの場合、聴かれていない。音は常に何かの音でなくてはならないという、人間側の約束があるかのようだ。僕らが生きる意味の世界では、全ての音が「○○の音」であるのは当然なのかもしれない。だがそういう音の向こう側に、意味を与えられる以前の音が、やはり常に鳴っているというのも、耳を澄ませばすぐにわかる事実なのだ。世界の外皮は思わぬ近さにある。
 僕たちはものを視るとき、そのものを視た、と思ってしまう。これは不思議なことだ。音がほとんど常に「○○の音」であるのに、視た瞬間に、「トラックの姿」「トラックの形」ではなく「トラックそのもの」だと思うというのはどういうことなのだろうか。「『姿』を見た」という言い方がされることもあるが、それはむしろ、「ような気がする」ような、むしろ視たという経験が疑わしいときのようにも思われる。確かにあの人の姿を見たような気がするのだけれど、とか。聴くことのなかで、「○○の」という形で音と意味が結びつけられている以上に、視るということのなかでは姿かたちと意味とが、わかちがたく一体化されてしまっているようだ。とらえられた姿かたちが、意味そのものであるとでもいうように。
 そして多くの場合、その意味は問われることもない。一瞥のなかで、既知のもの、意味のあるものとされ、通り過ぎられていく。ほとんどの場合、本として本を視、家として家を、猫として猫を視る。そして全てが既知であるような世界で安穏としている。どんなに驚くべき風景も、モニターの中の出来事であれば、とりあえずは知っているものとして済ますことができる。そしてその「既知であること」を土台に、他の知覚が組み立てられる。正体不明の音は、それに基づいて「○○の音」になる。そこになんの疑いも差し挟まないのが、普段の僕らなのだ。それはただの習慣なのだが。
 音を数えるという経験は、視ることを通して組み立ててしまっている、世界について約束事を露わにしてしまう。音を数えるようにして、世界を視るというのはどういうことなのか。そんなことを考えながら、アスファルトに落ちる影と陽の境目の細部を視たり、吹き渡る風に揺れる梢とその向こう側の空を視ているうちに、名づけられていないものが、すでにそこにあることに気づく。そしてそれが視野全体の向こう側にひろがっていくのを感じる。
 事物のかすかなうなりのようなもの、波のようなもの、遠いもの。その顕れに立ち会いたい。そしてそれを言葉に写し取ってきたいと思うのだ。


初出:「tab」第1号(2006年11月発行)
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by kotoba1e | 2007-01-10 21:03 | 自然と景色

とんぼのことなど

 今日はいい天気でした。風で強かったので湿気や黄砂も吹き飛ばされて、爽やかでした。
 久しぶりに子どもと散歩に出ました。昔はよく散歩をしたものですが、随分久しぶりのような気がします。ぶらぶら歩くだけならいつもしているのですが、休日の午前、子ども一人を連れてというのは、そう言えば随分していなかったような気がします。休日らしい過ごし方というのを、少しずつ忘れていっているのかもしれないと思いました。
 高野川に行きました。出町というところで鴨川とY字に合流する川で、うちのごく近所を流れているのです。春には桜の並木がとてもきれいでしたが、もうソメイヨシノは終わっています。ついこの間のことのはずなのに、この暑さだと、もう随分前のように思われます。花の跡の紅いちらちらはまだ残っているのですが。
 高野川は、飛び石が施してあって、みんなそこを飛んで渡れるようになっています。川担当のお役人に粋な人がいるのでしょう。子ども達が何度も跳ねて往復しています。うちの子もそんな一人で、なんどもなんども両岸の間を弾んでいます。親はそこまでの体力がないので、飛び石の脇の水辺にしゃがんで見ていました。
 眼の端の方、水際近くのちらちら光るあたりで、何か動いた気がしました。見るとぜんまいかわらびの子のようなものが見えました。しかしそういうものが生えるところでもないので、何だか判りませんでした。何かそういう形の草が揺れたのだろうと思いました。
 戻ってきた子どもが僕の傍らに来ると、そのあたりを指差して「虫」と言いました。改めて見てみると、さっきのところに何だか大きめの虫のようなものが見えました。傍に行って四つん這いになって見てみます。全長は5センチほど。体は弱い黄色。羽はしわしわで胴体はその下に隠れてよく見えません。大きめのブヨか何かかと思いました。
「とんぼだよ」
と子どもが言いました。そんなことないよ、体こんなに短くないだろう、と言うと、
「だってほらやごだよ」
と指差します。改めて見てみると、その足元に、いま破れたばかりという感じのやごの抜け殻が、水ぎりぎりのところでそいつに踏みしめられているのでした。とんぼです。さっき動いたように見えた、羊歯の芽のようなものは、やごの背から、この新しいからだが弾かれるようにして飛び出した瞬間だったのです。
 見ているうちに、羽は真直ぐに伸びていきました。背中の色は黄色いままですが、褐色の筋は少し力強くなってきたように思いました。何より、短く縮められていた腹がだんだん伸びてきていました。胸の下でZ字型にたたまれていたのが少しずつ真直ぐになってきただけではなく、腹自体が伸び続けているのでしょう。羽の陰に隠れていた棒状の腹が、今では羽の末を大きくはみ出しています。
 足元のやごは、ずんぐりしているとはいえ、2センチにも満たないような小さなものです。その中はきっと息詰るような高圧の世界だったのでしょう。今大気のなかで、体中に新鮮な体液が行き渡っていきます。熱いしびれのような感じが、触覚の先から足先、胴体の後端にまで滲みるように広がっていきます。六本の足をかわりばんこに上げてみると、動きに合わせて血が染み込んでいくのがわかるようでうっとりします。水中とは全然違う景色が、360度に広がっています。陽を受けた白い岸辺。足元に転がる今日までの身体、そして澱みない青空。もう水の中でのことは全部忘れてしまったような気がします。前方の中州の草の上に行ってみたい気がしました。あそこに行けば、何かすべきことを思い出すような気がしたからです。伸ばした羽に陽をあてて少しうっとりしたあと、そこに力を入れてみると、気持ちのよい震動が生まれました。体中がびりびりして何も考えられなくなります。そして地面が遠のいていきました。下を見ると、男の子がきょろきょろしながら泣いています。お父さんを探しているようでした。でも多分、もう遅いのだと思います。もう少し高く上がると、見えるのは空だけになりました。気づかないうちにいろんなことを忘れたような気がします。そしてそれらとは別のことを、だんだん思い出していくのでしょう。
 中州が近づいてきました。みなさん、ごきげんよう
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by kotoba1e | 2006-04-30 22:45 | 自然と景色

さくらについて

 京都は花の盛りである。家の近所の高野川の染井吉野も満開。鴨川は枝垂桜、大島桜や桃なども混じり、華やかなことこの上ない。

 染井吉野は江戸時代に江戸郊外の染井村(今は北区に属する)で作られたという、とりわけ花付きの良い品種。大島桜と江戸彼岸(枝垂桜の多くはこの仲間)のF1雑種だと言われている。結実しないので、挿し木で増やされる。葉が出る前に、とにかく多くの花を一斉に着け、一斉に散らすのが特徴で、今では街で桜と言えば、この品種を指すのが普通だ。
 大島桜は白い花と緑色の葉を出す。ややおおざっぱながら爽やかな印象だ。大きな口に白い葉を並べた南国の娘といったところだろうか。伊豆大島出身。これが染井吉野などに混ぜてところどころに植えられていると、良いアクセントになる。
 山桜は、花と同時に強い赤色の葉芽を展開させるのが特徴だ。花も赤みが強いが、全体に小振りで花付きも豊かだが染井吉野ほどうるさくないので、上品な印象である。樹形も染井吉野や大島桜がざっくりと低く構えるのに対して、すっきりと主幹を立てる傾向がある。伸びやかな樹体全体を使って、葉と花がいい案配に空隙を交えながら配されるその姿は、なんと言っても美しい。また、樹皮も滑らかで雅な感じだ。奈良の吉野山の桜はこれであるが、各地の山野に比較的普通に見られる。今の季節に里山を外から見ると、この山桜の桃色と辛夷の白が美しい。
 この他、小さい花を総状に付ける犬桜や上溝桜(ウワミズザクラ)、染井吉野が一段落した後で、街を彩り始める多種多様な里桜(八重桜)があるが、その愉しみは、今街を訪れているものとは少々別のものだろう。

 桜についてある程度知るようになると、一般的に見られる染井吉野が下品に思われてくる、ということを一度は経験する。むしろ山桜の優しい佇まいや大島桜の健康さを愛するようになると、染井吉野のこれでもかというような咲き方が嫌らしく思えてくる。あまりに人工的だという人もいるし、色が嫌いだという人もいる。

 しかし、染井吉野ほど不思議な色を持つ桜はない。そして咲く度に新しい桜もない。だいたい、桜のない季節には、先のように思っているのだ。山桜の方が美しいと。しかし実際に桜が咲き始めると、染井吉野は僕を脅かす。その名付けようのない淡すぎる花色は、その存在の強引さを徹底的に裏切る弱さを持っている。その色が花弁に直接乗っているのかどうかすら、確かめようがないように思われる。そのとりとめのなさを、記憶しておく術を、僕たちは多分持たない。記憶に残っていくのは、下品な樹形と、青空を背にした威圧的な花の塊だけなのだ。だからその花の出現は、毎年新しいものとして、驚きをもって経験される。梢の花も眼の下の花も、まったく同じ色に見える(それは異常な出来事である)。近いのか遠いのかさえわからなくなる、情報量の少なすぎる色。それは何か実在を超えたもの、この世ならぬものとの繋がりを感じさせるが、それは桜に対して誰もが知っていることに、結局は帰着するのだった。

 桜たちは、そんな瞑想に僕らを誘う。そのために僕らは、わざわざ理由を付けてまで桜の木の下に佇み、座るのだ。ほとんど本人達は気づいていないのだけれど。
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by kotoba1e | 2006-04-08 23:02 | 自然と景色