カテゴリ:ことばと表現( 35 )

断片化

やはりtwitterの濫用によって思考が断片化していたのだろうか(という140字未満の書き込みである)
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by kotoba1e | 2014-02-12 22:33 | ことばと表現

リハビリ

「SNS禁止」「腹八分目」「よく歩く」というリハビリを続けているが、少し思考力が戻ってきているようだ。本も少しなら読めそうだ。視力と体重はなかなか戻らないけれど。
久しぶりに論文ではない文章を書いてみたくなっている。いつも考えているわけではないけれど、歩いている時などに、そのまだ見ぬテキストの部分部分がよぎっていくことがある。本当に久しぶりの感覚だ。
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by kotoba1e | 2014-02-12 22:28 | ことばと表現

査読

論文の査読作業が大変辛い。私の論文を読んでる人もそうなのだろうな。
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by kotoba1e | 2014-01-16 15:47 | ことばと表現

「ポエトリーリーディングぐるぐる」のお知らせ

【お知らせ】ポエトリーリーディングぐるぐる

来たる3月24日(木)19:00より、京都市左京区の「ぐるぐるかふぇ」にて朗読会を開催します。
読みたい人も、聞きたい人も、是非お集まりください。

読みたい方は、ご一報いただけると助かります。

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by kotoba1e | 2011-03-10 00:54 | ことばと表現

ふくだわらまんじゅうろうさんの句がこんなところに・・・

 ふくだわらまんじゅうろうさんは、midnight press の掲示板や楽天のブログ(お互い閉鎖済)を通じて交流があった詩人。情熱と疲労とその純度に惹かれていた。

 そのふくだわらまんじゅうろうさんの句がこんなところに・・・。「住まいネット新聞びお」
 鴉についてのエッセイに引かれている。他に引かれているのは、芝不器男、高柳重信、飯田龍太、金子兜太など。エッセイの書き手は小池一三という方。どういう縁であろうか。

住まいネット新聞びお 特集「カラス『考』―カラスは人間社会の写し絵
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by kotoba1e | 2010-12-20 09:51 | ことばと表現

粕谷栄市をめぐって

先日本屋に行ったら、思潮社から「続粕谷栄市詩集」というのが例の詩文庫から出ていて、おまけに豪華なオリジナル詩集として「遠い川」というのが出ていたので、思わず両方とも買ってしまった。まだちゃんとは読んでいないが、相変わらずの粕谷ワールドのようだ。読むのが楽しみ。ハガキ一枚に収まりそうな、ダークな散文詩ばかりなのだ。

これまで粕谷について思ったことを断片的に書き連ねてみる。

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岩波の「完訳アンデルセン童話集」シリーズのどれかに、「アマーガーのやさい売り女にきくがよい」という物語が含まれているらしい。また、同じくデンマークの19世紀の作曲家、ハンス・クリスチャン・ロンピに、「アマーガーの守り人」という曲があるようだ。キェルケゴールもデンマークの人であるから、アマーガーというのは、デンマークのどこか、豚か野菜のある農村的なところなのだろうか。ネットで調べても上記以外にほとんどヒットがなく、そうなると却って神秘的な場所のように思われてくるのであった。
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粕谷栄市にはヘビーメタル的なところがあるかもなあ。EarthのHexのジャケット写真なんて米南部の邪教の教会を連想させるしその一曲「Land of Some Other Order」なんてまさに粕谷的。
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粕谷栄市は古河市から一歩も出ない人らしいが、デンマークのアマーガーの風景やこのearthが提示する風景など、田園の陰惨と恍惚みたいなものを通じて世界と繋がってる気がする。
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by kotoba1e | 2010-12-12 02:22 | ことばと表現

豚たちのIMAGINE

 今日8日は、ジョン・レノンの命日。没後30年だとか。そんなに経つのか。歳とるわけだ。
 ロックンローラーとしてのジョンは、声もメロディもビートも好きだけれど、「愛と平和」のイメージにはずっと馴染めずにきた。そのイメージを今でも使ってる未亡人にもやや辟易。
 特にジョンの平和思想のシンボルともなっている「イマジン」は、どう考えても退嬰的な内容で、この歌が良きものとしてあまりものを考えていなさそうな連中に持ち上げられる度に、なんだかむずむずするような、嫌なものを感じてきた。それは好きだった清志郎が歌っても変わらなかった。

 ここに来て少し印象が変わったのは、まったく偶然かつ個人的な事情による。たまたま読んだ全く無関係な別の詩が、なぜか僕の脳裏に「イマジン」の風景を立ち上がらせたのだ。それ以来「イマジン」は僕にとってはこれまでと少し違った意味を持った歌になった。それは平和の風景には違いないのだけれど、決してみんなで目指すようなことはできないもの。もともと「イマジン」の中にあった退嬰性こそが、この歌の美点なのではないか、とまったく個人的に思ったのだった。
 迂回的な経路を辿ってこの歌を少し好きになったが、これを「愛と平和」の文脈で称揚する、ということはこれからもしないだろう。しようもないときに、一人で呟くことはあったにしても。

 ということで、たまたま読み合わせたその詩と、「イマジン」とを並べてみようと思う。みなさんはこの二つの詩から、どのような風景を得るだろうか。


IMAGINE John Lennon

Imagine there's no heaven,

It's easy if you try,

No hell below us,

Above us only sky,

Imagine all the people
living for today...

Imagine there's no countries,

It isn't hard to do,

Nothing to kill or die for,

No religion too,

Imagine all the people
living life in peace.

Imagine no possesions,

I wonder if you can,

No need for greed or hunger,

A brotherhood of man,

Imagine all the people
Sharing all the world...

You may say I'm a dreamer,

but I'm not the only one,
I hope some day you'll join us,

And the world will live as one.


啓示  粕谷栄市

 アマーガー平原に、私は、一度も行ったことがない。一生、行けることはあるまい。亡くなった方の書きのこしたもので、知るだけだが、私には、とても懐かしいところだ。
 典雅な白雲の丘がつづき、そこには、見渡すかぎり、沢山の豚小屋がある。その全ての丸太の柵は破れ、天から降ったように、数知れぬ豚たちが遊んでいるのだ。
 日が当たり、彼等は楽しそうだ。その一匹は、砂を浴びている。その一匹は土管をなめている。その一匹は、豚小屋の屋根にいる。そして、彼等は、美しく交接もする。
 至高のものが、愛されるのであろう。この平原に、その他のものは何もない。私ならば立てるであろう。その一番高い丘の上に、一つの立て札を。「アマーガー平原」と。勿論、それもない。
 ただ、おそろしく、汚ない服の男が、ひとり、そこに寝ている。そう呼ぶならば、おそらく、彼は、豚の番人
であろう。しかし、彼は眠っている、帽子を顔に乗せて——。
 いかなる黄金も、彼の平和と怠慢に及ぶまい。いかなる詩も、彼の帽子に匹敵できぬであろう。この平原を、
永遠に、昼は去ることがないのだ。

 生きることが苦しい時、よく私は、自らに呟く「アマーガー平原」と。
 私は、何も知らない。が、いみじくも、今から百二十年前、確かに同じことを、呟かれた方がいる。無学な私は、時々、その名を間違えるが、たしか、キェルケゴール氏と言われる。


 僕は豚の楽園と並べて「イマジン」を貶めようとしたのではない。そうではなくて、このことで「イマジン」は固有の意味、あるかけがえのなさを持った歌になったのだ。粕谷の「啓示」を得て、僕の中ではこの二つの詩の風景は分ち難く一つのものになってしまった。永遠に昼の去らない、幸せな平原。遠く想像される、そこに暮らすこの尊い豚たちが、「イマジン」の淡々とあかるい人々と似ているのは、いまや僕にとっては確かなことなのである。そして、この二篇を串刺しに読むことで、「イマジン」は、「アマーガー平原」と同様、呟くに足るものになったのだった。
 「粕谷栄市詩集」(思潮社、現代詩文庫67)所収の、粕谷自身による「散漫なおぼえ書き—来歴について」によれば、アンデルセンの自伝にキェルケゴールの言葉として「私は詩人となり、人々の共感と賛辞に囲まれて生きるよりは、アマーガーの平原で、豚の番人となり、豚たちの友愛と共感をかち得たい」というのが引かれているのだそうだ。そして、その120年後、粕谷はその平原を夢見直した。ジョンがキェルケゴールの「アマーガー平原」を知っていたかどうかは知らない。だがキェルケゴールや粕谷が幻視したのと同じ風景が、時と場所を隔ててジョンをもよぎったのではないか、と思うのである。
 昼が去らない故がに、この平和の風景は僕たちの日々とは繋がらないであろう。僕たちの平和を巡る闘争とは関わりのないところに、この平原は広がっている。それ故に、これらの歌は平和の風景を不思議な明晰さで伝えることができるのだと思う。
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by kotoba1e | 2010-12-09 00:27 | ことばと表現

「次代へ繋ぐこと」についての聴講2件

■10月25日(月)
 「梅小路公園の未来を考える会」による第3回シンポジウムに行く。テーマは環境教育。この時期になぜこのテーマでやるのかは、いまひとつシンポジウムのコンセプトとしてはわからないところもある。
 講師は2名だったが、第2部の内藤正明先生のお話しが面白かった。今の一見エコのように見える取組み、特に行政と企業が先導しているような取組みは、ほとんど意味がないとのことだった。ただ、近い将来、この石油文明からの転換を強いられるときが必ず来る。その時には今途絶えようとしているローカルな技術が絶対必要になる。琵琶湖の舟だって、今は文化遺産としての意味しかないが、そうではなくなる時が来るから、今伝える必要がある、とのお話しもあった。この観点から、自分のやっていることを見直してみたいと思った。

■10月26日(火)
 研究助成等の打合せで、中塚智子先生を訪ねて滋賀大学へ。打ち合わせ後、イタリア発のwebを用いた記憶継承プロジェクト「MEMORO」についての、冨田尚子さんの特別講義を聴いた。
 プロジェクト自体もとても興味あるところだが、ここまでの道を見出してきた冨田さんご自身のエピソードと、その語りには、動かされるところがあった。学生たちも相当刺激されたようだった。

 一般論を超えたところで伝わっていく言葉というのはどういうものなのか、考えさせられた2件の講義だった。内容そのものも伝えていくことに関わるものだったけれど、お二人のお話しの「直接性」はどこから生まれてきたものだったのか。
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by kotoba1e | 2010-10-27 09:29 | ことばと表現

最近と詩

 前のエントリに、タクランケさんと倉田良成さんがコメントを下さった。タクランケさんとは、随分前に蕃さん(水島英己さん)のブログで出会った。倉田さん編集の「tab」でご一緒させていただいたこともあった。倉田良成さんとも、水島さんのブログで出会ったのだと思う。倉田さんの散文詩集「東京ボエーム抄」を読んだ時の衝撃はいまも忘れることはできない。木々の戦ぎの向こう側にすでに異界が訪れているような感覚が、倉田さんの詩にはいつもあって、それは今も僕を戦かせているものと同じような気がする。いまも続いている共同詩誌「tab」の創刊メンバーに加えていただいたのは、とても有り難いことだった。一緒に関わった石川和広さんとは、今もときどきやりとりをしている。

 詩から遠ざかってしまったのはなぜだったのだろう。いっときはそれこそが最も大事なことであるように思われていたのだったが。理由はいくつでも探せそうな気がする。
 だんだん誉めてもらいたいような気持ちが出てきてしまったというのもあるだろう。これは馬鹿馬鹿しいことですね。でもとにかく率直に作っていたときの気持ちとは別のものが出てきてしまったというのはあったような気がする。うまさ、のようなものの方に気持ちが向いたりとか、詩を書いている人同士のつきあいのような方向に少し気がそれたようなところもあったように思う。まあ詩を書くこととは関係ない話であり、書けない話ともまた関係ないだろう、こういうのは。
 もう一つは自分の詩を眺めていて、なんだか嫌になったところもあったのだと思う。詩のなかに自分以外の人がいないことに気付いたことがあったのだった。どの詩作品においても自分と、身の回りのモノ、が描かれているのだと思った。人がいないのである。(「tab」の野村龍さんなんか、もっとそうだが、それは一貫した確信が感じられるのだった)。モノから立ち上る霊性のようなものに興味があったのは確かなのだが、詩をスタックしていく内に、そういうものしか見えていないところに気付いて、行き詰まってしまったのだろう。谷川さんなんかは、コカコーラの缶について微視的な観察を行っても、そこにエロスを感じさせる舐め回しの視線が前面に出てきて、なんだかすごいことになってしまう。そういうエロスが、たぶんないんだろうな、と思っていたところもあったような気がする。
 最近になって、少しだけれど二人称的に人のことを考えることが増えてきた。もしかしたらかつてと全然違うものが出てきそうな気もする。書いてみないと判らないが。以前のものを一端外に出して(まとめて)、次の作業に取りかかりたくなってきている。

 今日は学生に乞われて、「偽校歌」をつくった。大昔からあるといわれても違和感のないような、古くさくて無駄に格調高げなものをつくろうと思った。昼休みにiPhoneで書き、数時間後には彼女からメロディが返ってきた。冗談のような作業だが、建学の理念を自分的に確認するのには少し役立ったような気がした。
 CDにまとまるのが楽しみである。
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by kotoba1e | 2010-02-24 01:17 | ことばと表現

言鳴

詩人の窪ワタルさんより、京町家朗読会「言鳴」のご案内をいただいた。この朗読会については、出演してきたこともあり、何度もレポートさせていただいているところだ。
今回は天若湖アートプロジェクトの報告会と重なり参加できないのが残念。
その日時場所その他概要について、無断で転載させていただき、みなさんにご案内する。
これを読むだけでも、ある程度この朗読会の雰囲気を判っていただけるのではないかと思う。




こんにちは。
寒い日が続いていますが、御元気でお過ごしでしょうか?
ご無沙汰しております。

さて、この度、久々に朗読会を再開する運びとなりましたので
、ご案内をさせて戴きたく、御連絡致しました。
御多忙のこととは存じますが、万障繰り合わせの上、御越し戴
けましたら幸いと存じます。


京町家朗読会・言鳴-ことなり-

【次回開催日時】
2010年3月6日(土)
【開場】18:30【開演】19:00
第一部:オープンマイク
第二部:ゲストによる朗読

ゲスト:白糸雅樹

【会場】古書と茶房ことばのはおと
京都府京都市上京区油小路通り下長者町下ル大黒屋町34
*お店のURL
http://www.kotobanohaoto.net/
*お店の関連コミュhttp://mixi.jp/view_community.pl?id=159318


【料金】
一般来場の方:1ドリンクオーダー&チップ
出演者   :出演費として別途500円が必要です

*なお、お店には駐車場がありません。地下鉄、市バスなどでお越し下さい
(お車、バイク、自転車でお越しの方は周辺の有料駐車場をご利用下さい)

【出演を希望される皆さんへ】

はじめに

当朗読会は、詩作、朗読の経験実績等は一切問いません。
事前にお申し込み戴ければ、先着順で、何方でも朗読して戴けます。

ただし、詩作と朗読に対し、真摯に取り組む姿勢のある詩人、朗読者、表現者にのみ門戸を開いておりますことを先ず御理解下さいますよう御願い致します。

また、出演を承諾致しました時点で、当方スタッフと共に、当会の成功に向けて御力添え戴けるものと判断させて戴きます。

*以下の【出演者の御約束】を必ず御熟読戴き、応募方法に従って、エントリー願います。


【出演者の御約束】

①当朗読会は、自由詩、定型詩、歌詞等、詩であればどのような作品でも朗読して頂けます。
自作は勿論、人様の作品も朗読して頂けます。

自作でない場合、著作権法上の使用許諾手続きは、全て御自身の責任で行って下さい。
万一、著作権者とのトラブル等が発生しても当方は一切責任を負いませんので予め御了承下さい。

②当会は、詩と声のみによる朗読に拘っております。マイク等の拡声器類、楽器等の鳴り物類、CD等の音源、その他、道具の御使用は御遠慮下さい。
*テキスト、譜面台は御持ち戴けます。

③持ち時間は御一組10分程度とさせて頂きます。
当日は、十分なリハーサル時間を確保出来ませんので、予め時間内に収まるように御準備下さいますよう御願い致します。

【定員とお申し込み期間】

①定員は6組と致します。

②エントリー方法、受付期間、宛先は下記のとおりです。

a)受付期間
2010年2月20日0時~3月2日0時まで

b)受付先
robo_wataru@yahoo.co.jp

c)エントリー時の必須事項

①メールタイトルに「言鳴エントリー」と記して下さい。

②御名前と性別

*筆名、ステージネームのみで構いません。

*グループでエントリーさせる方は、代表者の方の御名前と性別及び、グループの人数を記して下さい

③本番当日連絡可能な電話番号、又はメールアドレス

d)エントリーメール受付から本番当日までの流れ

①エントリーは先着順です。当方がメールを確認しましたら、タイトルに「言鳴エントリー承諾」と記して返信致します。当日の集合時間、その他必要時の連絡方法等を御知らせ致しますので、必ず御確認戴きますよう御願い致します。

②本番当日、出演者受付にて、出演費として、別途500円を頂戴しますので、御用意下さい。

*なお、お知り合い、御友人、御家族様等、御誘い合わせてお越し下さいますと、御連れ様御一人につき、御礼として300円を御戻ししていますので、御協力戴けますと幸いに存じます。


京町家朗読会・言鳴-ことなり-
窪ワタル



このブログにも、「言鳴」関係のエントリがだいぶあるはずなのだが、検索してもこのくらいしかひっかからなかった。
このごろ
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by kotoba1e | 2010-02-09 22:55 | ことばと表現