今ここに在る音に触れる

 平川さんが感想を寄せてくださった、元テキストをアップすることにしました。
 詩誌「tab」第9号のあとがきとして発表したものです。


 「直観音楽」というのをやっているグループに参加する機会を得た。それは、シュトックハウゼンが書いた詩のような指示のみに従って、グループで音を出すというものだ。それは謎めいた指示ではあるのだが、その実践を試みると、音についての感じ方、考え方は確かに変わってしまう。これについて書き始めると長くなってしまうのだが、シュトックハウゼン自身のこの言葉が、その経験を最も雄弁に語っていると思う。
「正しい持続を感得しようとすれば、人は自動的に音のあらゆる性質(音高、音色、強度、順序や音群や音塊における位置)を考慮に入れるものです。そしてもし機械的で音楽外的な音の操作から自由になるならば、この録音のように、有機的で、解き放たれた時間が生起するのです。音が時間の中に存在するのではない。むしろ時間が音の中に存在するのです。」
 時間変数tによって記述されるものではなく、まさにそこに「在る」ものとして経験されるのだ。過ぎ去ってしまうメロディではなく、「今ここに在る」ものとして、手で触れてテクスチャを感じ取れるモノとしての音。
 これは、詩人がいつも言葉に移し替えようとしている、「謎」だとか「彼岸的なもののあらわれ」といったものに、とてもよく似ているように思われるのだ。
 僕に詩が訪れにくくなったのは、そういう「在るもの」への経路を、詩以外に持ってしまったからなのかも知れない。
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by kotoba1e | 2008-05-11 07:38 | 音楽のことなど
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