爽波のことなど

 詩のSNS「なにぬねの?」で、久谷雉さんらが、波多野爽波(よく見ると変な名前だな)の俳句について論じあっているのを見て、興味が湧いてきた。
 手元のアンソロジー、平井照敏編「現代の俳句」(講談社学術文庫)にはどういうわけか出ていない。家中見てみたら、俳句にはまっていた頃によく読んだ、俳句朝日増刊「現代俳句の方法と領域」(朝日新聞社、1999)が出てきた。この中で、爽波の弟子であった岸本尚毅が虚子や芭蕉を引き合いに出しながら論じているのを見つけた。
 「なにぬねの?」でも、そのあまりにもそのまんまな俳句について、虚子と比べるようにして話題になっていたが、やはりその写生の在り方みたいなところで、比較され易いのだろう。岸本の論考はなかなか読ませるものだった。芭蕉や虚子が体得していた、季語がもともと持っている力を一旦殺し、句の底に込めてしまって、句全体を鈍く光らせるような方法(これは僕の言い直しだが)について、山本健吉の文章を引きながら論じて、その線上で爽波について触れているのだった。
 この文を読んで、俳句一句の中で起きているダイナミックな緊張を思った。そういうものの存在を長いこと忘れていた。それを思いながら家を出たら、明るい屋根の上に黒々とした雲が降りてきていた。そういえば、こういう普通の風景の中に俳句を探そうとしていたことがあったこと、それを試みるときに、17文字の中で闘争が生まれる感じを持っていたことなどを思い出した。
 句作はできなかったけれど、世界から詩が解発される瞬間の感じを、一瞬取り戻した感じがした。

 夕方は会議のために亀岡へ。電車の中で Syd Barrett のベスト盤を聴く。その静謐なあやうさにため息が出る。素晴らしい。彼が健在だったら、Pink Floyd はああいうでぶでよろよろのだらしない音楽にはならなかったろう。ニューウェイブを直接に貫いて今に続くような、簡潔で強度のある音楽をしていたのではないだろうか。高校時代にも聴いていたことがあったが、今の方がはるかに直接的に音のつぶつぶが伝わってくるようだ。ホーメイの経験を積んだせいか、それとも今朝の俳感覚の残っていたのか。

 家路はクレージー・ケン・バンドの「あの鐘を鳴らすのはあなた」で〆。和田アキ子も素晴らしいが、これもまた格別。歌えるようになりたいと思った。



Last updated January 31, 2008 00:51
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by kotoba1e | 2008-01-31 00:51 | ことばと表現
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