大きくなったら

 今日は少し上の子の算数をみてやった。
 まだなんとか解けるものの、塾の問題はかなりホネがある。少しひやひやした。それにしても学校の教科書(ほとんど絵本)の記載内容と、こうした問題との落差にはほとんどめまいがする。
 小学5年生にもなると、勉強もややこしいが心もややこしいようで、教えるのにも少々ことばの持って行き方を選ばないといけなかったりもする。その辺はめんどくさいようだが面白くもある。もう一年もすれば、もっとややこしい時期になるのだろうが、こちらはだんだん難しいことを考えられなくなって来ているので、それはきっと天の采配というか、良いことなのだろうと思う。あれこれと逡巡する脳の余裕がなくなってきたのか、人の目をあまり気にせずにやりたいことをやるようになってきた。ホーメイなどはその最たるものである。親がおもしろおかしく過ごしていることが、教育上悪かろうはずがない。

 数日前は、駅の設計をする人になりたい、と言っていた。その前は新聞記者になりたいと言っていた。野球に凝っていた3年前はもちろん野球選手になりたいと言っていたが、その前はピアニストになりたいと言っていたような気がする(今でも腕前はかなりのものである)。そのちょっと前は、ピアノになりたいと言っていた。ピアノが友達でお話をしているのだということだった。幼稚園くらいのことである。
 その前、入園前くらいに、妻が「大きくなったら何になりたい?」と尋ねたら、

 「すべりだい」

 と言ったことがあったらしい。妻は大いに心配したそうである。夫としてはもともと無機物を愛玩する性癖があるので、それほど心配には思わなかったが、すべりだいのどこがどう憧れになりうるのかは、やはり想像力が及ばなかった。

 不思議なのは、この夢がこの子ひとりのものではなかったということである。その数年後、上の子が少年らしくなってきたころ、幼稚園に入らんとする下の子が、

 「すべりだいになりたい」

と言い出したのだ。(この子は今では、「ねこになりたい」と少々現実的なことを言うようになってきた)

 今はもうその頃のことは、二人とも忘れているようだが、生きて輝くすべりだいのイメージが、二人の心の奥に共通してあったということには、不思議の念を禁じ得ない。個体を越えたイメージとしてあったということだ。
 それが遺伝によるものだとすれば、妻か、私のどちらかにその原像が眠っていたことになるのだが・・・。もしかしたら同じようなことを子供時代に言ったことがあったのだろうか。そして、その夢が不意に蘇り、どうしようもないような形で私を駆り立てるような時が、来るのだろうか。
[PR]
by kotoba1e | 2008-01-30 00:24 | ことばと表現
<< 爽波のことなど 酒の味のわからない私 >>