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さようならmidnight press

 詩誌midnight pressが休刊するらしいということを、石川和広さんのブログで知った。今はmidnight pressの掲示板にも、休刊を惜しむ声が続々と寄せられているようだ。

 現代詩を遠ざけてきた僕が、詩というものに気持ちを開くことができたのも、この雑誌との出会いがきっかけだった。現代とともにあり、しかも人々に対し開かれている言葉。間違いなく詩であり、かつマニアックな狭さを超えて行くもの。そういうものを誠実に追おうとした詩誌だったと思う。
 晴天の霹靂で驚いたり惜しんだりではあるが、この雑誌がどっちにいくのかな、ということは気になってはいた。2005年末の30号で一区切り、というようなことが、編集後記にもwebサイトにも載っていたからだ。

 以前から、midnight pressは詩の裾野に関心を持っていたようだ。川崎洋さん(今は松下育男さんが担当されている)と清水哲男さんの「詩の教室」の暖かさ、柔らかさも独特のものだったし、平居謙さんが若い市井の詩人を紹介して行く「ごきげんポエムに出会いたい」なんていうページもあった。
 また、CD-ROMといった新しいメディアの登場やインターネットの普及と、新しい詩の運動にも注目していたのだと思う。かつてはCD-ROM詩集なども出していたようだし、出版社のwebサイトの投稿掲示板「私の詩」を誌面に取り上げる、「poem on-line」というページも持っていた。いわゆるネット詩の特集を組んだり、有名サイトであるpoeniqueのいとうさんや現代詩フォーラムの片野晃司さんを招いた座談を収録したりもしていた。
 現代詩と、それと関わりうる多様な層とを視野に入れた編集を行っていたと思う。この開かれた感じ、「広さ」は、midnight pressの大きな特徴だったと思う。
 もう一つの大きな特徴は、「狭さ」だった。寄稿している詩人たちの息づかいが感じられるような、そういう親密な魅力があった。一流の詩人たちが、他誌より少し、身近に感じられるような、それは幻想なのかもしれないけれど、そんな感じがしたのだった。
 この「広さ」と「狭さ」が、midnight pressの他にない魅力を形作っていたように思える。

 だが、この1年半くらいの間に、その「広さ」を支えていたいろいろなものが変わったりなくなっていったりした。いつだったか忘れたけれど、midnight pressのwebサイトから、リンクページがなくなった。運営も大変だったのだと思うが、質の低い自ページへのリンクを一方的に請う人がいたりして、対処に困ったのではないかと、勝手に推測している。ネット上での相互的な関わりの困難さが露出し始めていたのだと思う。確か28〜29号あたりで、「ごきげんpoemに出会いたい」が終了、「poem on-line」が打ち切られた。このあたりで、mpはもしかしたら、「裾野」との関わりについて、仕切り直しを考えたのかもしれないと思った。そう思っていたときに、30号での一段落宣言があり、これからの大きな変化が予感されたのだった。

 2006年に入ってからのmpのサイト上では、「現代詩も、“ワン・オブ・詩”」、「2006年は、自由にーー」などといった、新しい展望を感じさせるタームが見られた。社会的な「裾野」とはまた違った、詩そのものの「広がり」「自由」の方に、きっと向かっていくのだな、と思った。
 しかし、31号を残して、midnight pressは休刊となった。たぶんその問いは、読者を含めmpに縁ある人々全員の宿題となったのだと思う。



 最後に個人的な思いを付け加えておくことにする。
 1年ちょっと前に詩らしきものを書き始めて、最初に発表したのがmidnight pressの「私の詩」だった。それから、そこにはできるたびに投稿し続けた。一度「poem on-line」で取り上げてもらえたこともあって、その時は嬉しかった。また、このサイトを通じて、ふくだわらまんじゅうろうさん、焼石二水さんを始めとする、さまざまな人たちとの交流が生まれ、いろんなことを学んだと思う。こうした場で遊ばせてもらったことについては、深く感謝したい。

 出版社としての活動とサイト運営は続けられるとのこと。気長に復刊を待ちたいと思います。ありがとう。お疲れさまでした。
by kotoba1e | 2006-03-05 20:30 | ことばと表現
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