なんという過去
この前なんとなくテレビをつけたら、NHK教育で「ハートで感じる英文法」というのをやっていた。その日はなんで仮定法では過去形が出てくるのか、というのがテーマだった。
講師の大西泰斗さんによれば、「そんなことありそうにもない」絵空事感が、「過去」と同じ遠い「遠さ」、見晴るかす感じを共有しているのだと言っていた。文法の奥に潜む直観的で源的なイメージを取り上げていて、興味深かった(関心のある方は、大西泰斗「英文法を壊す」NHKブックス、を参照のこと)。 この「過去」=「遠さ」という考え方もなるほどと思わされたが、僕はちょっと文句があるのである。むしろ派生的に取り扱われた「絵空事感」の方に本質があるのではないかと思うのである。「絵」としての固定化の作用、それと関連して事物を「事実」のフレームに嵌め込む作用こそが、過去形の本質なのではないかと思うのである。「距離感」の方がそこから派生するのだと思う。これは「遠さ」として現れることの方が多い(この場合大西さんの見解は妥当的である)のだけれど、次のような場合には当てはまらない。以前も話題にした、谷川俊太郎の「がっこう」である。ここでは「距離感」はむしろ「近さ」となって現れる。 がっこう 谷川 俊太郎 がっこうがもえている きょうしつのまどから どすぐろいけむりがふきだしている つくえがもえている こくばんがもえている ぼくのかいたえがもえている おんがくしつでぴあのがばくはつした たいくかんのゆかがはねあがった こうていのてつぼうがくにゃりとまがった せんせいはだれもいない せいとはみんなゆめをみている おれんじいろのほのおのしたが うれしそうにがっこうじゅうをなめまわす がっこうはおおごえでさけびながら がっこうがもえている からだをよじりゆっくりたおれていく ひのこがそらにまいあがる くやしいか がっこうよ くやしいか 6行目までは、「歴史的現在」で書かれている。教科書的には、現在のことのように生き生きとイメージさせる用法、ということになるのだが、7〜9行目の過去形についてはどう考えたらよいか。この過去形によって、読者はいきなり惨劇の現場に首根っこを掴まれ放り込まれるのである。むしろ歴史的現在が「他人事」的抽象だったのに対し、それに続く過去形は鋭い現前性を突きつけてくるのだ。ここでは「距離」が「遠さ」ではなく「近さ」になって現れていると言ってよい。この過去形は、見晴るかす「絵=場面」ではなく、至近距離にある「絵=場面」なのだ。 過去形は、「事実化」「歴史化」と強く関わっているのだと思う。あるフレームを与える機能である。詩においては時制はさまざま、現在形がむしろ多いような気もするが、小説であれば過去形で語られることがほとんどだ。「物語(story≒history)」が、そういうフレームを要求するのだ。 物語の本質は、この過去性にあると言ってもいいのかもしれない。多くの未来を舞台としたSFにおいても、ほとんどの場合語りは過去形である。なんの違和感もなく読んでしまうが、実は時制的にはかなり倒錯的な事態になっていることが、考えてみると判る。ここでは、直線的な時間軸上で現在より前に既に起きたことについて過去形が語っているのではないのだ(だってまだ起きていない未来のことなのだから)。「物語」の形式が、過去形を要請している。そしてそれは、そうした時間軸上の「遠さ」ではなく、「事実化」「歴史化」がなければ、単線的な道すじをもった物語が組織できないからなのだ。 「物語」作家は、この過去形の支配下にあるといってよいと思う。一方で、詩人はここから本質的に自由なのだ。これはちょっとぞっとするくらいの自由なのだと思う。この光が届かないような深さと広さについては、また改めて考えることにしよう。 I wish you were here という仮定法のなかの時制がコメントのやりとりで話題となった(現在コメントは読めなくなっている)、takrankeさんのページにトラックバックしました。併せてご覧下さい。 Last updated January 14, 2006 02:27
by kotoba1e
| 2006-01-14 02:27
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