蕃さんの「詩人たちの島」でも取り上げられていた、「ミリオンダラー・ベイビー」を京都のMOVIXで見てきました。
いろいろ読み解くのはやめて、目と口をあけて見ました。
考える前に揺さぶられます。映画館を出てしばらくたっても、思い出したように涙が出てきて参りました。
ラストのぼんやりした映像の向こうにはレモンパイがあったはずで、舌を残された者となったフランキーがここで味わうその味が、極度に清潔なこの映画に深い官能を与えていたような気がします。イエイツをゲール語で読むフランキー。tongueは自身のアイデンティティと他者の味の両者に関わるものなのかもしれません。
遠い終の棲家はどこにあるのか。
マギーも移民の出、フランキーも恐らくアイリッシュ系なのか。そしてフランキーは遠いInnisfreeを夢見る。生きている地点の、ある場所からの「遠さ」がこの映画の基調にあったような気がします。
昨日は夜中の1時まで分水界の村にいました。月が明るく映る田のほとりで、僕自身が場所に関わろうとする意志、僕自身の根拠を、村の人たちはするどく突きつけてきました。故郷喪失者である僕にとって、イエイツのこの詩は、昨日の美しい村の夜景とどうしても重なってしまいました。この映画とこの詩が、折り重なるようにして僕自身の生の「遠さ」を問うてくるような気がしました。
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蕃9073さんの「
詩人たちの島」へのコメントを再編成したものです。
イエイツの詩については、蕃さんの
蕃さんの「Million Dollar Babyという尊厳」で紹介されていますので、そちらをご覧下さい。